音楽と自然、土地と歴史をつなぐ
『箱根おんがくの森2022』

音楽と自然、土地と歴史をつなぐ

『箱根おんがくの森2022』

text by 原典子

 

音楽家みずから企画運営する音楽祭が、近年、日本のあちこちで開催されるようになってきた。箱根(神奈川県)の豊かな自然を舞台に、今年新たに誕生する『箱根おんがくの森』もそのひとつ。音楽祭の実行委員長を務める大光嘉理人はヴァイオリン奏者、アートディレクターの布施砂丘彦はコントラバス奏者であり批評家。ふたりとも日本のクラシック界を担う気鋭の若手音楽家である。

8月5日から3日間、全12公演が予定されている『箱根おんがくの森2022』について、大光と布施に話を聞いた。

自然のなかにあるものを活かして作る

「私は箱根の隣町の湯河原出身で、子どもの頃は小田原のジュニアオーケストラに在籍していたこともあり、地元住民の目線から、神奈川県の西部にクラシック音楽の文化を根づかせることができたらと思っていました。アマチュアの活動は盛んなのですが、プロのコンサートとなると、皆さん東京まで聴きに行ってしまうんですよね。別府にしても軽井沢にしても、あちこちの温泉地で素敵な音楽祭が開催されているように、箱根、湯河原、熱海、小田原あたりでもなにかできないだろうか、とはずっと夢想していました」(布施)

アートディレクター 布施砂丘彦©︎N.Kishikawa

その夢が具体的な像を結んだのが2年ほど前。日頃、演奏活動をともにしている大光と話しているなかで、彼の知人が箱根にホールを所有していることを知り、「いつかそこで音楽祭をやりたいね」と意気投合。今年3月に現地を訪れ、「ここでしかできないことがある」と確信し、準備を進めてきたという。

「大学生の頃、星の王子さまミュージアムで演奏させていただいたことがあり、とてもたくさんのお客さまに聴いていただいたのが印象的でした。箱根にはいろいろな美術館があり、豊かな自然とアートがあふれている土地なので、ぜひそこに質の良い音楽を絡めていけたらと」(大光)

実行委員長 大光嘉理人

音楽祭のメイン会場となるのが、箱根湖尻アートビレッジ。木造の美しいホール(キャパシティは80席程度)と野外ステージで、さまざまな趣向を凝らした公演が繰り広げられる。

「建築家の山崎一彦さんが設計し、所有する建物で、2013年に竣工しましたが、これまでプライヴェートな用途でしか使われてこなかったようです」(大光)

「自然のなかにあるものを活かして作るというコンセプトのもと、ホールはもともとその場所に生えていた杉の木を使って作られているそうです。そういう意味で、本当に自然と一体となっている建築ですね」(布施)

湖尻アートビレッジ ホール

ピリオド楽器が教えてくれること

箱根でやらなければ意味のないものを作ろう、そして3日間のプログラム全体を通してひとつの体験となるような音楽祭にしようという彼らの志は、丹念に編まれたプログラムのひとつひとつから伝わってくる。

たとえば、箱根の歴史を紐解くなかで生まれた『箱根の森の「兵士の物語」』公演(8月5日)。第一次世界大戦とスペイン風邪の流行する時代に作曲されたストラヴィンスキーの舞台作品だが、今回はそこに知られざる箱根の歴史が重ねられた。

「第二次世界大戦中の1942年に横浜港でドイツの軍艦が爆発し、帰国できなくなった100人ほどのドイツ兵が4年間にわたって箱根に住んでいたそうです。戦時中は同盟国ということで歓待されましたが、ナチス・ドイツが降伏、次いで日本が敗戦するとGHQのアメリカ兵から見張られることになり、大変な状況だったとは思います。それでも戦火に襲われることなく、食べ物もあって、都会から疎開してきた子どもたちと一緒に、箱根の人たちとも交流しながら、それなりに豊かな生活を送っていた。すごく特殊な空間ですよね。そんなドイツ兵たちの営みに思いを馳せながら、《兵士の物語》を小オーケストラ、ダンス、演劇という形で上演します」(布施)

歴史への眼差しという意味では、大光も布施も、古楽のフィールドでも活動する音楽家であることがプログラミングに独自の視点を与えている。仙石原文化センターで開催される『アート・オブ・バッハ・アンド・八橋検校〜絹糸とガット弦の出会い〜』公演(8月6日)もユニークだ。

「江戸時代の箏曲の大家、八橋検校が亡くなった年に、J.S.バッハが生まれています。一見なんの関連性もないように見える東西の偉人ですが、“ピリオド楽器”という観点で考えると面白い共通項が浮かび上がってくるのでは? と思いました。江戸時代の箏はナイロン弦ではなく絹糸が張られており、バッハの時代のヴァイオリンはスチール弦ではなく羊腸(ガット)弦が張られていました。作曲された当時のスタイルであるピリオド楽器は、現代の楽器のように大きなホールの隅々にまで届く音響ではなく、小さな空間で近くの人にだけ聴かせるための楽器だったという点でも箏と共通しています。それならばと、絹糸が張られた箏とバロック・オーケストラのコラボレーションで、バッハの《アート・オブ・フーガ》を演奏してみることに」(布施)

音楽の概念が広がっていく体験

ピリオド楽器のアイデンティティは、そこに生えていた自然の木を使って建てられた箱根湖尻アートビレッジにも通じるものがあるとふたりは語る。

「ガット弦は自然の素材なので、なかなか自分の思ったように音を出すのが難しいところがあるんですね。けれど自分が“こうしたい”ではなく、ガット弦に委ねて、そこから良い音を紡ぎ出すことができたとき、“ああ、なるほど”と。自然のなかにあるものからなにかを引き出してくることが、自分たちにとっては新しい芸術なのではないかと感じました。それは、先ほどお話した箱根湖尻アートビレッジのコンセプトと一致しますよね」(布施)

「自分が普段、古楽にアプローチするときに、自然を意識することはそれほどなかったのですが、音楽祭のプログラムを配置していくうちに新たな発見がたくさんありました。今まで関連していなかったものが関連しはじめたような」(大光)

湖尻アートビレッジ 野外ステージ

自然と音楽、さらには音楽以外のあらゆる芸術が出会う『森の小劇場〜自然の中で楽しむ踊りと音楽〜』公演(8月6&7日)では、そうした音楽祭の理念を肌で感じることができるだろう。

どこまでが音楽で、どこからが自然音なのか、それは演奏者が決めるのではなく、聴く側が決めるということを、ジョン・ケージの《4分33秒》を通して体験していただこうと考えています。野外ステージなので、鳥の声や風の音などいろいろな音が聞こえてくるでしょうが、楽器の演奏だけが音楽とは限りません。さらにふたりのダンサーによるパフォーマンスも加わり、複数の意味で音楽の概念が広がっていくのではないかと。サイコロを振って、出た目にしたがってその場で曲ができていくモーツァルトの《さいころ遊び》もやりますので、小さなお子さんにも楽しんでいただけると思います(この公演は中学生以下無料)」(布施)

箱根湖尻アートビレッジで行われる公演は、次の公演との間にちょっとした「つなぎ」があるのも本音楽祭の特徴。1公演ずつバラバラではなく、相互に関連性をもって聴いてもらいたいという思いが込められている。

「公演が終わってから次の公演まで30分ほどの間に、お客さまには一度外に出ていただくわけですが、ホールから店舗棟へと向かう自然の小道を散歩しながら、その道すがらでダンスのパフォーマンスやヴァイオリンの演奏などを楽しんでいただきます。公演が終わっても音楽が続いているような、続いていないような……という感覚のなかで、ふたたびホールに戻ってきていただけたらと」(布施)

そのほかにも箱根の人気カフェ、NARAYA CAFEで若手のアーティスト・コレクティブ“あちらこちら”が楽器演奏や歌、ダンスのパフォーマンスを行なう『あちらこちら in 箱根』(8月5日)、チェロ奏者の上村文乃とコンテンポラリー・ダンスとのコラボレーション(8月7日)、音楽祭の出演者が揃ってバッハの《音楽の捧げもの》と《ブランデンブルク協奏曲》を演奏する大団円(8月7日)などなど、要チェックの公演が目白押し。

夏のはじめの3日間、爽やかな風が吹き抜ける箱根の地で、新しい音楽の息吹を感じてみてはいかがだろう。

 

公演情報

『箱根おんがくの森2022』
2022年8月5日(金)〜8月7日(日)
会場:箱根湖尻アートビレッジ(ホール棟、野外ステージなど)、NARAYA CAFE、仙石原文化センター

主催:箱根おんがくの森 実行委員会
後援:箱根町、箱根町教育委員会、箱根DMO(一般財団法人箱根町観光協会)、箱根温泉旅館ホテル協同組合、小田原音楽連盟、一般社団法人横浜シンフォニエッタ

公式サイト:​https://www.hakoneongakunomori.com

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