ファーニホウの聴き方ガイド
聞こえた音を見える化する

ファーニホウの聴き方ガイド

聞こえた音を見える化する

text by Pause Catti(作曲家・プロデューサー)

 

例えばクセナキスの音楽を聴いて、「なんかかっこいい」という印象よりさらに深く作品について知ろうとするなら、どこまで正確なのか不明な彼の理論書に当たる必要がある。そうでなければ、ほとんどの場合、作曲当時の社会状況や作曲の背景、環境などの2次的な要素の理解にとどまることになる。それはファーニホウの音楽についても同様である。
多大な学習コストがかかる作曲家の難解な理論を学ばなければ、クセナキスやファーニホウのような複雑な音楽を鑑賞して「なんかかっこいい」という印象以上のものを得ることはできないのだろうか? 本稿はそうした問題に対する提案を含んだ、コンテンポラリー・ミュージックの聴き方に関するエッセイである。

「新しい複雑性」と対峙する

2022年5月24日の夕方、東京オペラシティ コンサートホールに隣接する施設では人々がテニスを楽しんでいた。サーブから始まり、ボールを打ち返し合う。バルコニーからゲームを見ると、シンプルで明快なパターンを認知することができる。

この日東京オペラシティ コンサートホールでは、ブラッド・ラブマン指揮アンサンブル・モデルンによる『コンポージアム2022 ブライアン・ファーニホウの音楽』と題する演奏会が行われた。私がアンサンブル・モデルンを初めて知ったのは中学生の頃。岐阜県立図書館で借りたジョン・アダムズのアルバムを通してだった。ほとんど同時期に、今回の演奏会と同じコンビであるブラッド・ラブマンとアンサンブル・モデルンによるスティーヴ・ライヒの録音も聴いた。当時の私は、各々の楽器が明瞭に聴き取れる室内楽に興味があったため、響きが独立し、はっきりとした輪郭を持つその演奏をとても魅力的に感じたと記憶している。アンサンブル・モデルンの実演に触れるのは今回が初めてであったが、私の頭の中には彼らの演奏についてすでにそうしたイメージがあった。

私の中でアンサンブル・モデルンの演奏は明瞭さという言葉と関連していたが、今回ファーニホウの4作品をホールで聴いて、それは彼らの美質の一側面に過ぎなかったと思い知らされた。18世紀イタリアの画家、建築家のピラネージによる版画に着想を得た《想像の牢獄 I》(1982)では、ファーニホウが「これが私の語法だ」と主張するかのような音響が続く。各々の楽器よりもアンサンブル全体でひとつの音を構成しようと試みながら、同時に起伏のあるその演奏は、私のイメージするアンサンブル・モデルンの魅力をさらに超えたものだった。

プログラムの中で最も音楽の時間構成が把握しやすい作品である《イカロスの墜落》(1987-1988)では、実現不可能にすら思える観念的とも言えるファーニホウの楽譜に、ヤーン・ボシエールが見事なクラリネット・ソロで挑み、ホール全体が大きく沸いた。日本初演となった《コントラコールピ》(2014-2015)は、指揮者と演奏家の動きの波が一致することで生成される音型のキャラクターが楽しい。プログラムの最後にはこちらも日本初演となる《クロノス・アイオン》(2008)が演奏され、この30年のファーニホウの創作の軌跡と興味の変遷を辿る公演は締め括られた。こうしてファーニホウの作品を連続して聴くと、それらの差分から彼の試行錯誤が見えてくる。

ファーニホウの音楽は非常に晦渋で音楽としての特徴を見つけ出すことすら難しいし、その楽譜はこの上ないほど複雑である。ファーニホウと、こうした傾向が見られる周辺の作曲家によるムーブメントは「新しい複雑性」とも称される。それまでの音楽史で育まれてきた記譜法を理解した上でこの複雑さに対峙しようとも、まったく歯が立たない。それは耳で聴いて認知できるパターンが少なく、なにかしらの音楽として計画された響きであると感じることすら難しい。

《イカロスの墜落》©大窪道治/提供:東京オペラシティ文化財団

ファーニホウの音楽では、今、作品のどの箇所を聴いているのか分からなくなってしまうということもしばしば起こり得る。しかしステージでは、厳格な音楽家たちによって観念的な記譜に対抗する演奏という行為が実際に行われている。そこには確かなキューポイントがあり、全員の動きには力点がある。ファーニホウの音楽は、ベートーヴェンやストラヴィンスキーのそれとは、期待されている聴取の形式が異なっているのではないか。このエッセイでは、ファーニホウの複雑な音楽を聴取するためのひとつの方法を提示したい。私は作曲家だが、そうでない人にとっても有効であると願っている。

私の提案は「聴取と同時に頭で楽譜をイメージする」ことである。ここでイメージする楽譜はいわゆる五線譜ではない。それは、白紙の時間軸にエンベロープ(音の起伏を示す)や音域(記譜上の音高というより、音色自体に注目する)で表現する。そこに聴き手各々が気に入っている要素を追加していけば良い。クリティカル・リスニングの一例と言えるかもしれない。

ファーニホウの楽譜は音価が極めて細かく指定されているが、これを聴覚で捉え直して新しく楽曲のイメージを再構築する。加えて、コンサートでは聴覚情報と視覚情報を得ることが可能であり、指揮者や演奏家の動きはパターンを思い描くことに対して有力な補助となる。

具体例として、本公演で演奏された《コントラコールピ》を取り上げて考えてみよう。「哲学的な思想や標題音楽的な在り方から距離をおいて書いた」とファーニホウ自身が発言しているように、《コントラコールピ》はファーニホウの音楽の中でも特に即物的に捉えることができる作品である(初演者であるジェイムズ・ベーカーとタレア・アンサンブルによる《コントラコールピ》の演奏動画も添える)。

本公演のプログラムノートで沼野雄司氏は《コントラコールピ》について「各種の素材は“ゴロンと並べられている”という共通点において、奇妙な調和を見せもする」「聴き手は、この分離と接続の連続を耳で追うことになるだろう」と指摘しているが、この点はこれから述べるパターン認知方法によっても理解できるだろう。

パターンを認知して、聴取体験を視覚化する

これは《コントラコールピ》冒頭1分の私の楽譜イメージである。本来は頭の中で思い浮かべるものであるが、今回は図示するため聴きながら1度で描いた。簡易的に説明すると、x軸を時間軸、y軸を音高(記譜の音高ではなく聴覚上の)として、音楽に現れるパターンと指揮者の動きを速記的に記した。通常の楽譜と同様に、右端に到達したら左に折り返して3段になっている。聴いたまま1度で描いたため素っ気ないものだが、実際の頭の中では色や3次元的な奥行き、動きなどをダイナミックにイメージしている。

これは私の実践例であり、方法はこの限りではないが、指揮者や演奏者の動きは上部に記載されている円弧や線で、実際に聴こえる音はその下に描いている。この時は、音高、ダイナミクス、テクスチャの3点を重点的に聴いた。ファーニホウの音楽を聴く際はこの3点だが、他の作曲家の場合は様々な異なるバリエーションが考えられる。

このイメージ楽譜の中にはふたつのパターンを見出すことができる。ひとつ目は波打つような音響で、2段目中央(上に挙げた参考映像では0:27)、3段目左(0:52)である。次の音に向かう前の助走として、タイミングを伺っているかのように聴こえる。ふたつ目はクラスター状の音響と同時に断続的な音が現れる音響で、2段目右(0:40)、3段目右(1:00)である。動きが無いクラスターは後景化し、前景化した断続的な音がよく目立つ。

ここまでで、私は《コントラコールピ》に現れるふたつのパターンの繰り返しを認知することができた。茫洋とした音響をひとつの計画された音楽へと捉えなおす現象が頭の中で起きていれば、この方法は成功である。こうした方法は、いわゆる図形楽譜や、図形や視覚的な要素を用いて作曲を行う音楽制作ソフト(例えばMetaSynthなど)を想起させるが、それらは解釈を待っているものである。ここで述べているのは聴き手が解釈した結果としてのイメージであって、これらとは性質がまったく異なることに留意したい。

また、必ずしも図形である必要はなく、感覚的な言葉(明るい、鋭い、ぼやけている)などでも良い。大切なことは、そのパターンを自分の中で構成して、再び似たパターンが現れた時に認識できるようになることである。このようなパターンを徐々に増やしていくことで、複雑な音楽に対して様々な捉え方が可能な余地が生まれる。イメージの練習や各々試行錯誤をする必要はあるものの、実際にコンサートに足を運びこのような聴取をすることは喜びとなるだろう。他の観客の反応や、自分の中に起こる感覚的な変化(ゾワッとする、緊張するなど単純なものでも十分)をこのイメージに追加していっても非常に面白い。ファーニホウの作品は、音楽が多様な方式で聴取され得るということを私たちに示している。そのことに改めて気づくことができたコンサート体験であった。

ブライアン・ファーニホウ ©Colin Still

【公演Webページ】
https://www.operacity.jp/concert/calendar/detail.php?id=15017

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