合唱音楽の新たなる地平を切り拓く
アヌーナを読み解く3つのキーワード
text by 原典子
合唱大国、日本で「アヌーナ(ANÚNA)」というコーラス・グループを知っている人はまだそれほど多くないかもしれない。邦人作曲家による優れた合唱作品が数多くあること、合唱がおもにクラシック音楽にカテゴライズされることがその理由だが、世界に目を向けると、アヌーナは現在の合唱およびヴォーカル・アンサンブル・シーンの最前線をいくグループであることは確かだろう。ケルト音楽にオリジンを持ちながら、世界の縦糸(歴史)と横糸(地域)を巧みに織り合わせて紡がれる神秘の響き、その多面性を読み解くキーワードを挙げながら、アヌーナというグループをご紹介してみたい。
その前に基本情報を。アヌーナは1987年にダブリンでマイケル・マクグリンによって結成された男女混声のコーラス・グループ。一世を風靡したアイルランドのダンス・パフォーマンス『リバーダンス』の初演(1994年)をはじめ、ワールド・ツアーにも参加したことで一躍注目を集めた。設立当初からメンバーは流動的でつねに交代を繰り返しており、これまでに100名以上のシンガーがアヌーナに参加。現在は多国籍からなる30名のシンガーを中心に編成されており、今年11月にマイケルを含めて13名が来日して各地で公演を行なう。
アヌーナの音楽は、芸術監督であり作曲家のマイケル・マクグリンが1000年以上前の古(いにしえ)の音楽や詩(あるいは詞)にインスピレーションを受けて書いたオリジナル楽曲が多くを占める。「アヌーナは伝統音楽のアンサンブルではないし、クラシック音楽の室内合唱団でもない」と彼が語るように、その音楽は容易にカテゴライズできるものではない。だが、マイケルに影響を与えた広範にわたる音楽や文化を整理することで見えてくるものがあるように思う。
キーワード① 古楽
マイケルは自身が影響を受けた音楽として、中世〜ルネサンス〜初期バロックのヨーロッパの作曲家の名を挙げている。ヒルデガルト・フォン・ビンゲン、ギヨーム・ド・マショー、トマス・タリス、ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ、トマス・ルイス・デ・ビクトリア、カルロ・ジェズアルド、ヘンリー・パーセルといった作曲家の名前は、クラシックの古楽を聴く方にはおなじみだろう。12世紀の女子修道院長であり作曲家でもあったヒルデガルト・ フォン・ビンゲンの「サンクタス(Sanctus)」も、マイケルのアレンジで聴くとキリスト教以前の古代を感じるスピリチュアルな音楽に聞こえる。
より広く「古い音楽」という意味においては、アヌーナが結成当初からレパートリーにしてきた中世アイルランドやスコットランドの聖歌や伝統歌などがある。しかし「故郷と精神的なつながりは感じるものの、作曲においてインスピレーションを得られるのはアイルランドの“外”から」とマイケルが語るとおり、彼の楽曲はアイルランドに根ざしたものだけではなく、世界各地に伝わる歌や詩を題材に作曲され、ラテン語、ギリシア語、英語、ゲール語(ケルト語のうち特にアイルランドやスコットランドで話される言葉)、アイスランド語、フランス語など、あらゆる言語で歌われている。
キーワード② コンテンポラリー
古い音楽と同じぐらい、マイケルは近現代の音楽からも影響を受けている。クラシックの作曲家でいうと、クロード・ドビュッシーや武満徹、ジョン・ラター、さらには1970年生まれのアメリカの作曲家エリック・ウィテカーや、1978年生まれでノルウェー出身のオラ・イェイロなど。アヌーナはルネサンスのポリフォニーから現代音楽まで幅広いレパートリーをもつという面においては、VOCES8やザ・キングズ・シンガーズといったイギリスのアカペラ・ヴォーカル・グループにも通じる部分があると言えるだろう。
また、ビートルズやビーチボーイズのような多重ヴォーカルが特徴的なグループや、デヴィッド・シルヴィアン、ケイト・ブッシュ、デヴィッド・ボウイ、ビョークといったポップス&ロックのスーパースターもまた、マイケルの音楽遍歴を語る上で欠かせない存在である。とくにアンビエント・ミュージックのパイオニア的存在として知られるハロルド・バッドには大きな影響を受けたとのこと。マイケルは「私はハロルド・バッドをフィリップ・グラスやヒルデガルト・フォン・ビンゲンと同じカテゴリーに入れたい。アンビエントという言葉は非常に誤用されていると思います。より適切な言葉は、“ノスタルジック(郷愁的な)”、つまり、作品の本来の意図とは関係なく、感情や記憶を呼び起こす能力です」と語っている。
キーワード③ 日本文化
2005年の初来日以来、日本との絆を深めているアヌーナ。かねてから日本とケルトの思想の類似性に着目していたマイケルは、「能」の世界に深く魅了されている。2017年2月にはアイルランドの詩人・劇作家ウィリアム・バトラー・イェイツ原作による夢幻能『鷹姫』公演を成功させ、アヌーナの芸術性に新たなる可能性を拓いた。今回の来日ではそれに続く企画として、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の『雪女』をテーマにした能とのコラボレーション公演『ケルティック・クリスマス 2024 アヌーナ特別公演「雪女」の幻想 〜神秘のコーラスと能舞〜』が開催される。本公演には笙演奏家/作曲家として雅楽から現代音楽まで幅広く活躍する東野珠実も出演するとあって、どのような化学反応が起きるかじつに楽しみだ。
さらに現代の日本文化においては、作曲家の光田康典とのコラボレーションを通してゲーム音楽のフィールドで目覚ましい活躍をしている。光田が音楽を手がけたゲーム『ゼノブレイド2』『ゼノブレイド3』『クロノ・クロス:ラジカル・ドリーマーズ エディション』といったサウンドトラックにアヌーナのシンガーが参加。昨年発表された(日本発売は2024年9月)9年ぶりとなるアヌーナの新作アルバム『アザーワールド』にも、『ゼノブレイド2』のサウンドトラックから4曲の新録音が収録されている。また、今年放映されたアニメ『ダンジョン飯』のサウンドトラックにもアヌーナのシンガーが参加していることも付け加えておこう。
以上、3つのキーワードを通してアヌーナの魅力を紐解いてみたが、合唱は生で聴いたときの空気の震えを肌で感じる体験に勝るものはない。アヌーナの歌声は、トールキンの『指輪物語』の舞台である「中つ国」のような、あるいは『雪女』の見せる幻想のような、ファンタジーに満ちた「異界」に通じる扉を開いてくれることだろう。
公演情報
ケルティック・クリスマス 2024
アヌーナ特別公演「雪女」の幻想
〜神秘のコーラスと能舞〜2024年12月7日(土)17:30
すみだトリフォニーホール 大ホール出演:アヌーナ(コーラス)
ゲスト:津村禮次郎(能)、東野珠実(笙)、柿原光博(大鼓)公演詳細:https://plankton.co.jp/xmas24/sumida.html
アヌーナ来日公演2024 全国日程
11月22日(金)兵庫県立芸術文化センター
11月23日(土)大阪 ザ・フェニックスホール
11月24日(日)東海市芸術劇場
11月26日(火)札幌文化芸術劇場 hitaru
11月29日(金)静岡音楽館AOI
11月30日(土)神奈川 フィリアホール
12月1日(日)所沢市民文化センターミューズ
12月8日(日)三鷹市芸術文化センター