福間洸太朗 × 高原英理 対談
音楽と文学における「幻想」をめぐって【前編】

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福間洸太朗 × 高原英理 対談

音楽と文学における「幻想」をめぐって【前編】

text by 加藤綾子
photo by 長門裕幸/協力:スタインウェイ&サンズ東京

 

2023年にデビュー19年を迎え、4月には通算19作目となるアルバム『幻想を求めて – スクリャービン&ラフマニノフ』をリリースしたばかりのピアニスト、福間洸太朗。

1985年に第1回幻想文学新人賞を受賞、『少女領域』『ゴシックハート』『不機嫌な姫とブルックナー団』『高原英理恐怖譚集成』『日々のきのこ』など多くの著作を発表し、クラシック音楽にも造詣の深い小説家・文芸評論家、高原英理。

今日はじめて出会ったばかりのふたりが語り合っているのは、「幻想(ファンタジー)」について。異世界、空想、夢、幻。私たちが手を伸ばしても届かないもの。あるいは、私たちが生きているすぐそばに、見えないだけで存在している場所。物心ついたときから、私たちはごく当たり前に幻想を抱いたり、恐れていたりする。

「幻想」とはいったい何なのだろう? 「幻想」という概念は、音楽や文学の歴史の中でどのような変遷を辿ってきたのだろうか? ふたりの対話を通して考えをめぐらせてみたい。

ロシアを代表する作曲家ふたりの初期作品に見る「幻想」

──福間さんは、録音や公演のたびにコンセプチュアルなプログラムを提示してくださいますが、スクリャービンとラフマニノフの作品を収めた新作アルバムに『幻想を求めて』というタイトルをつけた理由は?

福間 昨年がスクリャービンの生誕150周年、そして今年がラフマニノフの生誕150 周年。ふたりは1歳違いなんですよね。ふたりともロシアを代表する天才音楽家で、モスクワ音楽院ではライバル同士でした。ピアノ科の卒業試験も一緒に受けて、ラフマニノフが1位、スクリャービンが2位だったそうです。

そんな彼らの生涯を通しての作品群を見ていくと、「幻想」と名付けられた作品がなぜか初期に際立って多くて、中期や後期にはあまり出てこないんです。それって、すごく面白いなと思いまして。ですから、スクリャービンとラフマニノフの初期作品の共通項として、「幻想」をタイトルにしました。

――たしかに、今作に収録された「幻想」と名の付く作品(スクリャービンの《幻想ソナタ 嬰ト短調》、ピアノ・ソナタ第2番《幻想》、《幻想曲 ロ短調》、ラフマニノフの《幻想的⼩品集》)はいずれも初期の作品ですね。

高原 「幻想曲」というと、形式にとらわれない、自由な、というニュアンスでよく語られますね。おそらくその系譜の、何かから逃れていくような感じが、スクリャービンやラフマニノフの初期作品にも生きているのではないでしょうか。私の印象では、スクリャービンはさまざまに工夫をこらした、立て込んだ音楽という感じで、ラフマニノフはそれより少し落ち着いて聞こえました。

福間 形式にこだわることなく自由に、楽想のおもむくままに書く「ファンタジア=幻想曲」という器楽曲は、16世紀頃から書かれていたようです。18世紀になると、J.S.バッハの息子のC.P.E.バッハなどはファンタジアを拡大させて、小節線さえもなくして書いたりしていました。それまでは「自由」とはいっても、「この曲は何拍子で何調」というように分析しやすく、聴いてすぐにわかるような形で書かれることが多かったと思いますが、C.P.E.バッハはそこから逸脱するような、きわめて自由な精神で書いたのです。

さらにスクリャービンやラフマニノフの時代まで下ると、その自由さがもっと拡大されるのかと思いきや、実際はそうでもなくて。たとえばラフマニノフの《幻想的小品集》は、短い曲たちが、分析しやすいような形式で書かれていて、メロディも普通に口ずさむことができます。若書きの作品ということもあるかもしれないですけれど。

――「幻想曲」といっても、完全なる自由というわけではないのですね。

福間 ではなぜ「幻想」と名付けられているのか。自分なりに考えてみたのですが、ラフマニノフにおける幻想的な要素は、低音の響きにあるのではないでしょうか。これは、ロシア正教会の大きな鐘の音だと思います。実際、《幻想的小品集》の第2曲は前奏曲「鐘」なのですが、ほかの作品でも低音がバーンと鳴っているところは鐘の響きを連想するんですよね。

かたやスクリャービンにおける幻想的な要素とは何かというと、ふわふわっと飛翔していくような、空に向かって飛んでいくような瞬間にあるように感じられます。そういった違いが、ラフマニノフとスクリャービンの「幻想」にはあるのではないかと。どちらも自由な発想から出てきた音楽ではあると思います。

人間を超越した、崇高な世界を目指して

──音楽における「幻想」についてお話しいただきましたが、文学における「幻想」とはずいぶん意味合いが違うように思います。

高原 日本の文学で「幻想」というとき、その多くは「幻想文学」を指すので、音楽の世界における「幻想」とはまた違うニュアンスですね。

また、日本語で「ファンタジー」というと、アニメやゲームなどでもおなじみの異世界・別世界を思い浮かべる人が多いでしょう。英語で「ファンタスティック」というときは、素晴らしいという意味と同時に、現実以上の、現実から離れたという意味も含みますね。先ほどおっしゃったスクリャービンの「飛翔する感じ」というのは、ファンタスティックにいちばん近いのかもしれません。

それに対して日本文学に見られる「幻想」は、もう少し異様なもの、現実を引き裂いて恐ろしいものが顔を出してくるイメージです。現代音楽のいくつかからはそのような印象を受けることもありますが、それは幻想的とはあまりいわれませんね。つまり「幻想」と「ファンタジー」という言葉は、日本語ではイコールでありません。音楽と文学における「幻想」のギャップは、そこにあるのではないでしょうか。

──音楽と文学の関係でいうと、たとえばスクリャービンは後年、神秘主義といわれる思想に傾倒していったわけですが、そこには文学の影響もあったのでしょうか?

福間 私が知る限りですが、スクリャービンは腕を痛めてスランプに陥り、1度ピアニストを断念しているんですよね。そのときフリードリヒ・ニーチェの哲学に心酔し、超人思想に大きな影響を受けたそうです。それをきっかけに彼の作風も変わり、だんだん調性から離れて、無調の音楽を書くようになった。それがスクリャービンにとっての神秘主義的な音楽のはじまりといわれています。

高原 人間の意識の外に、この世とは違う霊界のような世界があって、そこになんとか接触しようとするのが神秘主義ですね。そういった思想が19世紀から20世紀にかけて流行って、多くの人が傾倒しました。日本でも川端康成のような作家たちは興味を持っていたようです。スクリャービンの交響曲でも、神秘主義的なタイトルがついている作品がありましたね。

――交響曲第4番の《法悦の詩》でしょうか。

高原 そうでした。あの作品は最後にいくほどどんどん高揚していくような音楽に作られているでしょう。ああいう、何か崇高なものを目指す境地に、スクリャービンは行き着いたのではないでしょうか。

ただ、そういう意味では近代の神秘主義に限らず、古くからあった思想ともいえるわけです。キリスト教のカトリックのミサ曲も崇高なる天に向けた音楽ですし、ロシア正教でもそれは同じです。案外、そういった側面もあるのかもしれません。

福間 共通するのはやはり「神のような存在に近づく」という意識でしょうか。スクリャービンはピアノ・ソナタ第4番を書いたあと、自身で詩を書いています。第1楽章では満天の星空をイメージして、第2楽章では自分自身が飛んで行き、最後は太陽に向かって強い光線の中を羽ばたいて行くといったことを書いている。これってかなり宗教的ですし、幻想的ですよね。現実にはあり得ない光景ですから。

高原 ニーチェは宗教的な神を認めないといいながら、人間自身が神に近い気高さを得よとしていましたね。カール・グスタフ・ユングやルドルフ・シュタイナーなどもそうですが、19世紀から20世紀にかけては、必ずしもキリスト教的な神にとらわれない発想が生まれました。

福間 演奏していると、両者の違いが感覚的にわかるような気がします。ラフマニノフは人間的表現、心の中の歌という感じなのですが、スクリャービンは生身の人間というよりは、どこか違う世界の存在──人間なのか神なのかはわかりませんが、その存在が歌っているような感じがするんです。でも今回のアルバムで収録した初期作品では、まだ生身の人間が見られるかもしれません(笑)。

ラフマニノフのロマン、スクリャービンの色彩

──高原さんは、ラフマニノフについてはどのようなイメージをお持ちですか?

高原 交響曲第2番とピアノ協奏曲第2番は、ものすごくロマンティックで大好きな作品ではありますが、交響曲第3番などを聴くと、ちょっと前衛に向かっているような感じがします。ストラヴィンスキーほどではないけれど、リズム的な前衛を意識していたのではないかと思います。ひょっとしたら、ラフマニノフにも昔から前衛的な部分があって、そのへんを批評家から叩かれて、「じゃあいいよ、ロマンティックにやってやろうじゃないか!」と開き直って成功したのが、あの交響曲第2番とピアノ協奏曲第2番なのでは? と思ったり(笑)。

福間 なるほど、それは興味深いですね。

高原 ラフマニノフは、時代的にはもうロマン主義というのには遅いですからね。もっとストラヴィンスキーのようになってもよかったけれど、向いていたのはロマン主義的な音楽だったのかなと思います。あくまで私の想像ですが。

福間 ラフマニノフは1917年にロシアを出国し、アメリカに亡命しました。私が思うに、アメリカに住んで黒人霊歌やジャズに触れ、彼の音楽スタイルが少し変わっていったのではないかと。それらを取り入れた部分があって、作風が変わったようにも感じます。

高原 アメリカの近代の交響曲って聴きやすいものが多いですね。たしかに、そういう環境もあったかもしれません。

──いっぽうのスクリャービンはというと、とくにピアニストの中に熱烈な愛好者がいる印象です。福間さんはスクリャービンのどんな部分に惹きつけられるのでしょうか?

福間 スクリャービンは優秀な人ではありましたが、おそらく性格がひねくれていたんだろうと思っていて(笑)。彼は小柄だったんですよね。ラフマニノフは身長が2メートル近くある大男で、手も大きかった。それに比べてスクリャービンは160センチほどの背丈で、手も小さかったので、ものすごいコンプレックスを抱えていたそうです。それで頑張って練習しすぎて、手を痛めてしまい、ピアニストを断念せざるを得なくなったと。

高原 福間さんのお話を聞くと、やっぱりね、スクリャービンの「人間を超えたい」という気持ちがよくわかります。ラフマニノフは自分のままでいいけれど、スクリャービンは自分が自分のままでは満足がいかない人だったのでしょう。自分自身や社会に対して、満足がいかない気持ちから、人は「幻想」に思いを寄せるのではないかと思います。

福間 何といっても私がスクリャービンについて素晴らしいと思うのは、色彩豊かなところです。今回収録した曲には美しい旋律がたくさんあって、それも魅力的なのですが、スクリャービンは共感覚を持っていて、音を聴いて色がぱっと見える人だったんですよね。そのせいか、彼の音楽からは、ラフマニノフ以上に豊かな色彩を感じます。フランス印象派のそれともちょっと違う感覚。スクリャービンは自分で調性の色を表に書いているんですよ。たしかハ長調は赤で、オレンジ、黄、青、紫へとグラデーションになっているんですよね。

高原 そういえば、詩人のアルチュール・ランボーも母音の文字を見ると色彩が浮かぶと記していました。

福間 色彩の感覚は人それぞれで、共感覚を持っている人同士でも、同じ音から連想する色はまったく違うみたいです。

――福間さんも、音から色彩を連想したりするのでしょうか?

福間 私の場合は共感覚というよりも、かなり抽象的な、「あえていえば何色」という感じです。演奏しているといろんな色が思い浮かんで……というわけではなく、「これは何色かな?」と考えたら、「こういう淡い色かな」とか、「ちょっとどす黒い色かな」とか、そういうイメージですね。

後編へ続く

 

新譜情報

『幻想を求めて – スクリャービン&ラフマニノフ』
福間洸太朗(ピアノ)
NAXOS JAPAN

スクリャービン:
3つの小品 Op. 2 – No. 1 練習曲 嬰ハ短調
12の練習曲 Op. 8 – No. 12 嬰ニ短調《悲愴》
幻想ソナタ 嬰ト短調 WoO 6
ピアノ・ソナタ第2番 嬰ト短調《幻想》Op. 19
左手のための2つの小品 Op. 9 – No. 2 ノクターン 変ニ長調
幻想曲 ロ短調 Op. 28
ラフマニノフ:
幻想的小品集 Op.3(I. エレジー 変ホ短調/II. 前奏曲 嬰ハ短調「鐘」/ III. メロディ ホ長調/IV. 道化役者 嬰へ短調/V. セレナード 変ロ短調)
ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 Op. 36(1931年改訂版)

アルバム情報ページ
https://naxos.jp/special/NYCC-27314

アルバムPV
https://www.youtube.com/watch?v=iPpHDJe_Ros


福間洸太朗 Kotaro Fukuma

ピアニスト。20歳でクリーヴランド国際コンクール日本人初の優勝およびショパン賞受賞。パリ国立高等音楽院、ベルリン芸術大学、コモ湖国際ピアノアカデミーにて学ぶ。
これまでに世界の主要ホールでリサイタルを行ない、国内外の著名オーケストラと50曲以上のピアノ協奏曲を演奏してきた。また、フィギュア・スケートのステファン・ランビエルら一流スケーターとのコラボレーションや、パリ・オペラ座バレエ団エトワールのマチュー・ガニオとも共演するなど幅広い活躍を展開。
CDはこれまでに『バッハ・ピアノ・トランスクリプションズ』『France Romance』『ベートーヴェン・ソナタ集』(ナクソス・ジャパン)などをリリース。そのほか、珍しいピアノ作品を取り上げる演奏会シリーズ『レア・ピアノミュージック』のプロデュース、OTTAVAやぶらあぼWeb Stationでの番組パーソナリティを務め、自身のYouTubeチャンネルでも幅広い世代から注目されている。
https://www.japanarts.co.jp/artist/kotarofukuma/

高原英理 Eiri Takahara
1959年生まれ。立教大学文学部日本文学科卒業。東京工業大学大学院社会理工学研究科博士後期課程修了(価値システム専攻)。博士(学術)。1985年、第1回幻想文学新人賞受賞(選考委員は澁澤龍彦・中井英夫)。1996年、第39回群像新人文学賞評論部門優秀作受賞(選考委員は柄谷行人、後藤明生、高橋源一郎、中沢けい、李恢成)。
主な著作に『詩歌探偵フラヌール』『日々のきのこ』(河出書房新社)、『高原英理恐怖譚集成』『エイリア綺譚集』(国書刊行会)、『観念結晶大系』『うさと私』(書肆侃侃房)、『歌人紫宮透の短くはるかな生涯』『怪談生活』(立東舎)、『不機嫌な姫とブルックナー団』(講談社)など。
今年7月、連作長篇小説『祝福』を河出書房新社から刊行。
また来年生誕200年を迎えるブルックナーの生涯を事実とフィクションとで語る『ブルックナー譚』(仮)を中央公論新社から刊行予定。

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