マリンバ音楽が背負う現代性の宿命
神奈川県立音楽堂 シリーズ「新しい視点」
『ダブルポートレイト・フォー・マリンバ・アンド・ザ・フューチャー』
text by 八木宏之
「新しい」楽器マリンバ
音楽家と聴衆の間の相互コミュニケーションの可能性を探る、神奈川県立音楽堂のシリーズ「新しい視点」。FREUDEではこれまでも、若いアーティストたちが聴衆を巻き込みながら作品をブラッシュアップしていく「紅葉坂プロジェクト」に注目してきたが、「新しい視点」はなにも若手だけをフィーチャーするものではない。神奈川県立音楽堂の指定管理者、神奈川芸術文化財団の芸術総監督を務める作曲家の一柳慧と、アルゼンチン生まれのイギリスの作曲家アレハンドロ・ヴィニャオ、ふたりの巨匠がマリンバを通して新しいコンテンポラリー体験を提案する『ダブルポートレイト・フォー・マリンバ・アンド・ザ・フューチャー』もこのシリーズの目玉企画である。
一柳は1933年生まれ、ヴィニャオは1951年生まれ。両者は生まれた国も世代も違うが、ともにコンテンポラリー・ミュージックの最前線に立って、数多くのマリンバ音楽を作曲してきた共通点を持つ。今回の『ダブルポートレイト』は、両者のマリンバのための作品をまとめて聴くことのできる、またとない機会なのだ。
アフリカに起源を持ち、ラテンアメリカで民族楽器として発展したのち、20世紀初頭にアメリカへと持ち込まれたマリンバは、クラシック音楽の楽器としての歴史は100年ほどの「新しい」楽器である。1940年代に入るとダリウス・ミヨーがマリンバとヴィブラフォンのための協奏曲(1947)を作曲するなど、少しずつソロ楽器として認知され、戦後になると多くの作曲家がマリンバのために作品を書くようになった。一柳とヴィニャオはそうした戦後のマリンバ音楽を代表する作曲家と言えるだろう。
一柳がマリンバに興味を持ったのは、ひとりの奏者が30種類以上の打楽器を演奏するシュトックハウゼンの《打楽器奏者のためのツィクルス》(1959)を聴いたことがきっかけだった。一柳はシュトックハウゼンの作品が持つエネルギーに衝撃を受けた一方、これほど多くの打楽器を用いなくても、音程のしっかりした打楽器ひとつで十分に多様な表現が可能なのではないかと考え、マリンバのための作品を書くようになる。『ダブルポートレイト』では1980年代から90年代にかけて作曲され、今日マリンバの重要なレパートリーとなっている《風の軌跡》(3人の打楽器奏者のための、1984)《共存の宇宙》(マリンバとピアノのための、1992)《アクアスケープ》(独奏マリンバ、フルート、ピアノ、2人の打楽器奏者のための、1992)の3曲が演奏される。一柳がシュトックハウゼンの作品に対する問題提起を出発点に、マリンバでどのような音楽表現を探求してきたのか、その点に着目して聴いてみたい。
ヴィニャオの音楽に出会う
もうひとりの作曲家、アレハンドロ・ヴィニャオが来日するのは1997年以来25年ぶり。コロナ禍以降イギリス国外で自作の演奏に立ち会うのは今回が初めてとのことだ。『ダブルポートレイト』では、ヴィニャオが日本を離れていた25年の間に書かれた3作品が演奏され、そのうち1曲は世界初演である。《リフ》(マリンバとピアノのための、2006)はそのタイトルの通り、モチーフの反復がもたらすグルーヴが魅力的な作品である。《ストレス・アンド・フロー》(打楽器カルテットとエレクトロニクスのための、2018)は「コントラスト」をテーマにした作品で、今回演奏される第1曲〈ブライト・アンド・ダーク〉では、暗く重いリズムと明るく軽やかなリズムがドラマティックに対比される。打楽器だけでなく、木管楽器も編成に加えた《ファイナル・デ・フレーズ》(フルートとクラリネットと打楽器とエレクトロニクスのための、2020)の世界初演を含め、ヴィニャオのエクリチュールを多面的に知ることができるプログラムとなっている。
ヴィニャオは長年、コンテンポラリー・ミュージックと聴衆の関係やその距離について思いを巡らせてきたという。作曲上の妥協をせずに、聴衆に届きやすい作品を実現するにはどうしたら良いか。ヴィニャオは音楽をシンプルで明快な素材から開始して、それを次第に複雑化していくスタイルに行き着いた。こうすることで、聴き手は置いてきぼりにならず、作品がどのような要素でできていて、それがどのように展開していくのか自然に理解できるという。故郷アルゼンチンをはじめ、世界各地の民族音楽、ポピュラー・ミュージックの影響を受けているヴィニャオの作品だが、「聴衆の理解に寄り添った構造を持つからこそ、そこにポピュラー・ミュージックの要素も取り入れることが可能になった」とヴィニャオは語る。ポピュラー・ミュージックからアイデアを得た作品は、コンテンポラリー・ミュージックを難解だと感じている人々にも、それを自分と関係のあるものだと感じさせることができ、そうした作品がコンテンポラリー・ミュージックとポピュラー・ミュージックの架け橋になるのだとヴィニャオは考えている。ヴィニャオの思想は、聴いていると思わず身体を揺らしたくなる、その理屈を超えた音楽からなにより伝わってくる。コンテンポラリー・ミュージックはちょっと難しいと感じている方にこそ、ヴィニャオの作品を体験してほしい。
『ダブルポートレイト』で中心的な役割を担うマリンバ奏者の小森邦彦は、今回の公演の意義を次のように語った。
「20世紀に生まれ、現代性の宿命を背負うマリンバ音楽は、必然的に聴き手との同時代性を持っており、そこが大きな魅力のひとつです。私たちは今回の演奏会を通して、マリンバ音楽の財産である一柳先生とヴィニャオさんの作品を現代に継承し、それを次の世代、未来へと伝えていきたいと思っています。一柳先生、ヴィニャオさんについて詳しくない人であっても、実演に触れれば必ずその音楽のファンになると確信していますので、ぜひ会場に聴きに来てください」(小森邦彦)
神奈川県立音楽堂で、マリンバの歴史、そしてマリンバを通して浮かび上がるふたりの作曲家の創造の軌跡に触れてみてはいかがだろうか。
シリーズ「新しい視点」
ダブルポートレイト・フォー・マリンバ・アンド・ザ・フューチャー
2022年7月10日(日)15:00 開演(14:30 開場)
神奈川県立音楽堂
小森邦彦(マリンバ)
橋本岳人(フルート)
ブルックス 信雄 トーン(クラリネット)
岡本麻子(ピアノ)
N Percussion Group(パーカッション)
一柳慧(トーク)
アレハンドロ・ヴィニャオ(トーク、エレクトロニクス)一柳慧:《風の軌跡》3人の打楽器奏者のための(1984)
一柳慧:《共存の宇宙》マリンバとピアノのための(1992)
一柳慧:《アクアスケープ》独奏マリンバ、フルート、ピアノ、2人の打楽器奏者のための (1992)
アレハンドロ・ヴィニャオ:《リフ》マリンバとピアノのための(2006)
アレハンドロ・ヴィニャオ:《ストレス・アンド・フロー》より〈ブライト・アンド・ダーク〉打楽器カルテットとエレクトロニクスのための(2018)
アレハンドロ・ヴィニャオ:《ファイナル・デ・フレーズ》フルートとクラリネットと打楽器とエレクトロニクスのための(2020、世界初演)
以上曲順不同全席指定:3,500円
シルバー割引(65歳以上):3,000円
U24(24歳以下):1,750円
高校生以下:無料
チケットかながわ:0570-015-415(10:00~18:00)公演詳細:https://www.kanagawa-ongakudo.com/d/marimba2022
お問い合わせ:神奈川県立音楽堂(指定管理者:公益財団法人神奈川芸術文化財団) 045-263-2567(9:00-17:00 月曜休館)