タクティカートオーケストラ×坂入健司郎
ブルックナー交響曲 特別演奏会
石原勇太郎による補筆完成版

<Review>
タクティカートオーケストラ×坂入健司郎

ブルックナー交響曲 特別演奏会

石原勇太郎による補筆完成版

text by 平岡拓也
cover photo by 松尾淳一郎

タクティカートオーケストラ×坂入健司郎
ブルックナー交響曲 特別演奏会
2023年10月11日(水)19:00
東京芸術劇場 コンサートホール

ブルックナー:
Os Justi(正しい者の口は知恵を語り)WAB30
Locus iste(この場所は神によって創られた)WAB23
交響曲第9番 WAB109(新補筆完成版)

坂入健司郎指揮 タクティカートオーケストラ
伊藤心(合唱指揮)Coro Oración(合唱)

坂入健司郎とタクティカートオーケストラによるブルックナーの演奏会を聴いた。未完に終わった《交響曲第9番》の4楽章補筆完成版が注目を集めた公演で、4楽章は既存のものではなく音楽学者の石原勇太郎(国際ブルックナー協会会員)が新たに完成させた補筆完成版が用いられ、本公演が世界初演となった。

演奏しながら成長していく若きオーケストラ

ブルックナーという作曲家はある種特殊な存在で、西洋音楽史の系譜上に間違いなく位置づけられながら、独特の音楽語法を数多く内包している。「原始霧」とも称される楽曲冒頭の弦楽器による最弱奏のトレモロ(細かな刻み)、しばしば曲中に挿入され、音楽の呼吸を整えるゲネラルパウゼ(全声部の休止)等々……。そうした特徴ゆえに一部熱狂的なファンを呼び、また同時にやや近寄り難い印象をも与えるのかもしれない。随一の個性を持った作曲家であることは、疑いないだろう。

筆者は、坂入が指揮したブルックナー《第9番》を以前、彼が主宰する東京ユヴェントス・フィルハーモニーの演奏会でも聴いたことがある(CD化もされている)。ブルックナーの他の交響曲演奏を継続的に行っていたこともあろうが、坂入のブルックナー愛をメンバーが十二分に理解し、音楽として表出した素晴らしい演奏だったのをよく覚えている。入念なリハーサルで作曲家の音楽語法がメンバーに浸透しており、アマチュアリズムの最良の具現化だったようにさえ思う。

©︎松尾淳一郎

対して今回のタクティカートは若手プロ奏者によって構成されるオーケストラで、リハーサル期間は2日間。必ずしも弾き手側のブルックナー経験は潤沢とはいえなかったのではないかと推察する(ブルックナー作品の中でも《第9番》はそう容易く取り上げられる作品ではない)。そう感じた理由が、楽章を追うごとに響きが成熟し、演奏しながらオーケストラ自らが急激な成長を遂げているように感じられたことだ。

第1楽章序盤ではヴァイオリンの足並みが揃わず、パッセージが乖離する瞬間もあった。正直なところ、先行きが少々心配になった。しかし同楽章コーダでは大地を踏みしめるようにどっしりと音楽が響き、第2楽章では若々しいオーケストラならではの俊敏さが楽曲の前衛性と呼応した。そして第3楽章では、坂入の落ち着いた運びの中でいっそう音楽の呼吸が深くなり、ワーグナー・テューバとホルンの寂寞たる響きも合わさってまさにブルックナーの響きとなった。この響きの充実は、楽曲開始時のやや不安げな様子からは想像できなかった。作曲家ブルックナーがやや遠い存在だった(であろう)オーケストラが、演奏する中で自ら作品に相応しい響きを獲得し、充実していく。その成長過程を聴き、タクティカートオーケストラの若々しさ・柔軟性・変貌の可能性に驚いた次第だ。

©︎松尾淳一郎

作曲家の改訂「癖」を考慮した取捨選択

展開部結尾で属13の強烈な不協和音が叩き込まれた後、アダージョ楽章は《第7番》の楽節も交えながら穏やかに終結していくが、この日はその後にさらなる物語が待ち構えていた。若き音楽学者・石原勇太郎補筆による第4楽章である。演奏会途中のトークコーナーで石原は、「遺された要素をすべて盛り込むのではなく、取捨選択を行った」と語った。実際に聴いてみると、なるほどこれまでの補筆完成版の多くと異なり、反復や経過句の扱いが幾分スリムになっているという印象を受けた。ブルックナーの補筆作業における姿勢は当然音楽学者によって異なるだろうが、今回の新版は作曲家の改訂「癖」を多分に考慮しているのであろう。ブルックナーは《第9番》作曲途中にも《第1番》や《第8番》の改訂を行い、大きく異なる様式の作品が生まれている。ブルックナーが仮に長命であり、《第9番》が彼の存命中に初演されていたとしたら――改訂していた可能性は否定できないだろう。作曲家自身による改訂の結果作品がコンパクトになる可能性をも加味した補筆作業のように、筆者には聴こえた。

©︎松尾淳一郎

もちろん主題展開や《テ・デウム》の引用等、大枠の要素が変更されている訳ではない。第4楽章の中でもとりわけ印象的な、壮大な金管コラールによる第3主題も繰り返し登場するし、《第6番》第4楽章そっくりの音型も聴こえる。そのような中で、石原版第4楽章の大きな特徴は、コーダにある。《第4番》第4楽章のように半音階的に上行していき、先行楽章の主題群や《テ・デウム》動機が同時並行で鳴り響いたのち、主音Dをトゥッティ(総奏)で連呼して輝かしく閉じられる。この結尾は《第5番》を否が応でも連想させるが、《第9番》第4楽章展開部は《第5番》以来の複雑な書かれ方をしているため、コーダ結尾も《第5番》からヒントを得たのかもしれない。坂入とタクティカートオーケストラは、新版の初演という意義をパワフルかつ精緻な演奏で果たした。頻出する金管コラールの安定感と力強さは特筆しておきたい。

©︎松尾淳一郎

なお、前半にはブルックナーが終生取り組んだ合唱の小品が2曲、伊藤心指揮のCoro Oraciónによって演奏された。《Locus iste》《Os justi》いずれも濁りなく厚みある合唱により歌われ、特に後者の最後に訪れるユニゾンによるアレルヤは合唱団全体が深く大きく深呼吸をするようで、東京芸術劇場の広大な空間が教会のように響き、たっぷりとした余韻が隅々まで充した。続く《第9番》の深遠な世界に向けて、聴く者の耳をいったん洗い流してくれるような敬虔なひと時だった。

©︎松尾淳一郎

ブルックナーの命日である10月11日に行われたこの演奏会。トークコーナーで坂入は「もっと広い層にブルックナーに親しんでほしい」と語っていたが、この夜、若き指揮者とオーケストラ、若き音楽学者の共同作業がもたらした果実は大きい。今回の新補筆完成版の再演に早くも期待したいところだ。

また生誕200年の記念イヤーである来年2024年には、《第9番》第4楽章版も含む多くのブルックナー作品がステージを彩る。ブルックナー愛を公言して憚らない坂入は、2024年にこの作曲家の連続演奏会に取り組むという。そのプロジェクトに期待が膨らむ一夜であったことも、最後に記しておきたい。

【タクティカートオーケストラ Webサイト】
https://www.tacticart-orchestra.com

※この記事は、これからの時代に活躍してほしい音楽評論家やライターを広くご紹介する、FREUDEの「執筆者応援プロジェクト」の一環として、一般社団法人ビトゥイン・ミュージック・タイズの助成を受けて制作されています。

執筆者:平岡拓也
1996 年生まれ。幼少よりクラシック音楽に親しみ、全寮制中高一貫校を経て慶應義塾大学文学部卒業。在学中はドイツ語圏の文学や音楽について学ぶ。大学在学中にはフェスタサマーミューザKAWASAKIの関連企画「ほぼ日刊サマーミューザ」(2015 年)「サマーミューザ・ナビ」(2016 年)でコーナーを担当。現在までに『オペラ・エクスプレス』『Mercure des Arts』『さっぽろ劇場ジャーナル』『FREUDE』といったウェブメディア、在京楽団のプログラム等にコンサート評やコラムを寄稿している。
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