映画『マエストロ:その音楽と愛と』
バーンスタイン夫妻を通して描かれる
「マエストロ」という生き方

<Review>
映画『マエストロ:その音楽と愛と』

バーンスタイン夫妻を通して描かれる

「マエストロ」という生き方

text by 吉原真里

Netflix映画『マエストロ:その音楽と愛と』独占配信中

監督:ブラッドリー・クーパー
プロデューサー:マーティン・スコセッシ、ブラッドリー・クーパー、スティーブン・スピルバーグ
​キャスト:キャリー・マリガン、ブラッドリー・クーパー

反対方向を向きながらも
お互いを支え合って生きてきたふたり

公開の何年も前から話題になっていたブラッドリー・クーパー監督・主演によるこの作品は、20世紀のアメリカを代表する音楽の巨匠、レナード・バーンスタインを扱った映画だが、いわゆる「伝記映画」を期待して観ると、落胆はほぼ確実だ。

バーンスタインの作曲あるいは指揮による音楽は、全編を通じて存分にそして効果的に使われているが、彼が演奏やリハーサルや作曲をしている場面はとても少ない。クラシック音楽を幅広い聴衆に届けた『ヤング・ピープルズ・コンサート』シリーズも、ソ連や日本を含む海外ツアーの様子も出てこない。前代未聞の大ヒットとなった『ウエスト・サイド・ストーリー』でさえ、インタビューで話題に上るだけ。タングルウッド音楽祭で若い指揮者の指導をする終盤のシーン以外には、教育者としてのバーンスタインは描かれていないし、核兵器廃絶運動などに強くコミットした活動家としての姿も出てこない。そもそも、バーンスタインの芸術と生涯を追うことを主眼にした映画ではないのだ。

「マエストロ」というこの映画のタイトルは、バーンスタインという世界的指揮者を指すのではなく、「『マエストロ』として生きるということ」、そして「『マエストロ』として生きる人物と人生を共にすること」を意味していると私は思う。

映画は、妻のフェリーシャを亡くしたバーンスタインが自宅でひとりピアノを奏でながら、大きな照明と複数のカメラを前にインタビューに答えるシーンから始まる。最愛の人を亡くした悲嘆と向き合うときにも、「マエストロ」はカメラとその向こうにいる聴衆から離れることはできないのだ。

そこから話は急に、数十年前に戻る。突如その日にカーネギーホールで指揮をするようにとの電話をバーンスタインが受け取るシーンでは、巨大な窓とそれを覆うカーテンが画面の大部分を占めている。そのカーテンを開けることで、彼はまさに光の世界に飛び出し、「マエストロ」となっていく。

「マエストロ」として生きる、あるいは「マエストロ」と共に生きるにおいては、目もくらむような強い照明やいくつものカメラが向けられ、テープレコーダーがまわるなか、自らに与えられた役をまっとうしなければいけない。それは、抜きん出た才能を授けられた人間の使命であり、そうした人物を愛してしまった人間の運命なのだ。そんな使命と運命の裏にある、バーンスタインとフェリーシャの孤独や葛藤や苦悩を表現するのに、全編を通じて、窓やドアのフレーム、ホールのステージや幕、光や影や色彩が、とても効果的に使われている。

フェリーシャは役者としての仕事を中断し、夫の仕事を管理し、子供を育て、理想的な妻の役を見事にこなしながらも、アーティストとしての自尊心、女性としての欲求、妻としての尊厳は折に触れて傷つけられることになる。しかし彼女は、決して悲劇のヒロインではない。

初対面の夜、フェリーシャは彼を「マエストロ・バーンスタイン」と呼ぶ。本人がまだそんな呼称に戸惑っているときに、彼がとてつもない才能と運に恵まれた「マエストロ」であることを見抜き、理解したのがフェリーシャだったのだ。そんな彼を愛してしまった彼女は、彼が同性愛者であることを百も承知で、自分から結婚を申し出る。その後、数々の屈辱や裏切りに遭いながらも、彼女は彼を愛する人生を選択し続ける。そのフェリーシャこそが、芸術家バーンスタインを誰よりも理解し、背中を押してくれる存在であることが、いくつものシーンで静かに、かつ雄弁に表現されている。

フェリーシャの病が発覚すると、バーンスタインは彼女を公園に連れ出し、数十年前にしたのと同じように、背中合わせになって芝生に腰を下ろし、数字ゲームをする。「全身の重みを背中にかけて、僕に寄りかかって」というバーンスタインの言葉。反対方向を向きながらもお互いを支え合って生きてきたふたりが、これまで共に過ごしてきた時間、そしてふたりに残された時間の重みを、舞台の幕も窓枠もない、大きな空の下で、背中を通じて感じ合っているのだ。

最愛のフェリーシャを亡くした悲しみの中でも、バーンスタインは音楽を生み続ける。それができるのは、「昔ほど力強くはないけれど、今も自分の中で歌いかけてくれる人がいる」からだと、カメラに向かって彼は語る。バーンスタインにとって、人を愛し人に愛されることと、音楽をすることは同義だった。

このシーンのあと、画面はモノクロに戻り、若いフェリーシャの笑顔がクロースアップされる。そして、後ろを向いた彼女の背中を背景に、大きく明るい黄色の文字でMAESTROという文字が浮かび上がる。バーンスタインの残した音楽で聴衆を包みながら、この映画は幕を閉じる。バーンスタインとフェリーシャというふたりの人物を通して、「マエストロ」というありかたを、深く鋭く、冷徹かつ温かい敬愛をもって描き切る作品だ。

編集部注)文中にあるセリフは日本語字幕とは異なります。

 

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