芸劇オーケストラ・アカデミー・フォー・ウインド(GOA)レッスン・レポート
楽器の枠組みを超えた音楽家たちの対話
text by 加藤綾子&山下実紗
東京芸術劇場が2014年に開講した「芸劇オーケストラ・アカデミー・フォー・ウインド(以下、GOA/旧称:芸劇ウインド・オーケストラ・アカデミー」は、音楽大学を卒業した若手の管楽器奏者を対象に、ソロやアンサンブル、オーケストラ・スタディといった実技から、演奏会の会計業務、プログラムノートの執筆に至るまで、音楽家として独り立ちするのに必要な学びを、3年間のカリキュラムで提供している。GOAの教育プログラムの特徴のひとつに挙げられるのが、専攻以外の楽器の講師によるレッスンである。トランペットの学生がホルンの講師にレッスンを受けたり、クラリネットの学生がフルートの講師に助言を求めたりすることは音楽大学でも稀に見られる光景だが、GOAではトロンボーンのアカデミー生がヴァイオリン奏者からバッハの無伴奏作品を、ファゴットのアカデミー生は声楽家からフォーレの歌曲を学ぶのである。こうした楽器の枠組みを超えたレッスンには、テクニックに留まらない作品の本質を追い求める音楽家を目指して欲しいというGOAの思いが反映されている。今回は音楽ライターの加藤綾子と山下実紗が、ヴァイオリニストの水谷晃とソプラノの小林沙羅のレッスンに密着し、そこでどのような対話が繰り広げられているのかを取材した。
弦楽器の動きを間近に吸収して――水谷晃の場合
筆者が取材した講座は、アカデミー生が受講するマンツーマンレッスンの一コマ──といっても、一般に想像する「管楽器奏者のためのレッスン」とは、一味も二味も違う。ここでは、管楽器“以外”のプロによるレッスンが行われるのだ。自分が学ぶ作品について、専攻の講師以外から指導を受ける機会は、国内の教育機関を見渡してもそう多くはないだろう。GOAならではのユニークなカリキュラムといえる。
今回は、東京都交響楽団のコンサートマスターであるヴァイオリニスト・水谷晃が、トロンボーン専攻の受講生、永森絢女を指導する。課題曲は、J.S.バッハの《無伴奏チェロ組曲 第1番》BWV1007より、〈プレリュード〉と〈クーラント〉。トロンボーンのプレイヤーを相手に、ヴァイオリン作品でもない楽曲を指南する。「どうなるのか予測がつかない」と水谷も語る、この90分間は、どんな様相を辿っていくのだろうか?
本題に入る前に、楽曲について少し触れておこう。チェロ奏者にはお馴染みの《無伴奏チェロ組曲》は、トロンボーン奏者にとっても、重要なレパートリーのひとつであり、コンクールやオーディションにおける定番曲となっている。といっても、《チェロ組曲》のオリジナルの譜面を演奏するわけではなく、管楽器特有のフレージングやダイナミクスが書かれた、校訂版の楽譜を使うので、演奏者には、作曲者だけでなく校訂者の意図にも思いを巡らせた、多層的な解釈が求められる。

もちろん、この作品をトロンボーンで演奏することは、技術的な困難を伴う。弦楽器であれば隣の弦同士で楽に弾けてしまうフレーズも、トロンボーンでは激しくスライドを動かして演奏しなくてはならない。しかし、この日のレッスンで永森は、技術的な忙しなさを感じさせない、丁寧でやわらかなバッハを歌い上げた。チェロの響きがトロンボーンのそれに変わると、こうもあたたかなものになるのかと味わい深い。
難関はフレージングだ。管楽器と弦楽器の最大の違いは、いうまでもなく息継ぎの有無。ブレスによってどうしても分断されてしまうフレーズを、いかに自然に聴かせるか? 水谷のアドバイスは、そこにスポットが当てられていた。
とりわけ印象に残ったのは、ハーモニーの流れを利用するという提案だ。息継ぎによる音の切れ目が避けられないのであれば、和音の移り変わりを分析して、ブレスの箇所を調整する。たとえばトニックからドミナントへ移る瞬間、ドミナントへの方向性さえ見えれば、息継ぎが至極当然なものとして聞こえるはず。実際、水谷のアイデアを応用した途端、永森の演奏はより滑らかで、自然なものへ変貌した。
普段、なかなか接する機会のない弦楽器奏者のボウイングを間近で観察できる点も、このカリキュラムの目玉だろう。水谷は、ときに歌い、踊りながら、バロックボウも持ち出してバッハを実演する。たとえば、〈クーラント〉でしばしば現れる、16分音符3つをスラーで繋げた音型。弓元へ素早くターンする水谷の弓さばきが、トロンボーンでの演奏にもヒントを与えてくれる。
和音の変化を表現するときに沈み込む弓の毛、移弦のさいに起こる手首や肘の回転、重心とスピードのなめらかな緩急……オーケストラのなかで、遠くから眺めているだけでは実感しにくい弦楽器の妙が、受講生にリアルタイムで影響していく。互いに新鮮なアイデアを共有し、レッスンを終えた講師と受講生の表情は、とても晴れやかなものだった。
取材・執筆:加藤綾子

専攻を越えたレッスンで演奏技術向上のヒントを掴む――小林沙羅の場合
自身の専攻する楽器のレッスンを受けることは非常に有意義なものだ。演奏のテクニックや楽譜の読み込み方をダイレクトに学ぶことができる。一方で、専攻と異なる分野の講師からはどのような学びが得られるだろうか。今回取材したGOAのレッスンでは、若い管楽器奏者たちが、自身の専攻する楽器とは異なる分野の音楽家からのアドバイスを通じて、音楽を作り上げる際の普遍的な技術を学んでいた。この日は、ソプラノ歌手の小林沙羅がファゴット専攻・北山木乃香とオーボエ専攻・国崎祐未を指導した。本稿では、受講生たちの表現力を高い熱量で引き出していった小林のレッスンの様子をお届けする。
午前のレッスンでは、ファゴットの北山がシューマン《幻想小曲集》Op.73より第1曲と、フォーレの歌曲《夢のあとに》の指導を受けた。レッスン全体を通して、情感豊かで柔らかな音色の演奏を聴くことができたが、小林はクレッシェンドの後にすぐに音量を小さくしてしまう点を北山の課題として指摘した。クレッシェンドが楽曲の山場を導くことも多く、そこでエネルギーや音量を減退させてしまうのはもったいないのである。
北山の強みは、課題が見つかると、別の部分でも同様の問題が起きそうなところに自分自身で気がつける点だ。後半のフォーレでも、音量やエネルギーの減衰が見られることはあったが、自らそのことに気が付き、修正していく姿が見られた。また、小林からアドバイスを受けた後に積極的に質問をして、的確に演奏のイメージを作り上げていく姿勢も印象的であった。レッスンの最後にそれぞれの楽曲を通して演奏してみると、作品のイメージがクリアになったことで、元々持つテクニックに緩急が加わったのが聴いていて感じられた。北山自身も「自分の中で掴めるポイントが増えた」と手応えを感じていたようだった。

続いて、オーボエの国崎の指導が行われた。このレッスンでは、オーボエのレパートリーの中で最も重要な作品のひとつである、モーツァルトの《オーボエ協奏曲》ハ長調 K.314、野上彰の詩に小林秀雄が付曲した歌曲《落葉松》、そしてジョニー・マーサー作詞、ヘンリー・マンシーニ作曲の《ムーン・リバー》の3曲が取り上げられた。レッスン序盤でモーツァルトの第1楽章を通して演奏した国崎は、繊細なパッセージも軽快に乗りこなしていた。しかし、この日の国崎は万全のコンディションではなかったようで、楽器に息を吹き込む時に苦しそうな姿も見られた。小林は「人間であれば調子が悪い日もたくさんある」としたうえで、「調子が悪い日こそ、少し汚い音になってしまっても攻めていく姿勢が大切」と助言した。このような状況でも、小林のアドバイスに即座に演奏で応えようとする国崎の姿には感銘を受けた。
また、声楽家である小林は、詩に対する感性がひときわ鋭い。《夢のあとに》や《落葉松》、《ムーン・リバー》のように、元々詩がある作品において、テキストの理解が曖昧なまま演奏してしまうと音楽自体がぼやけてしまう。レッスン中、音楽表現の方向性が定まっていないところを取り上げ、受講生と詩の意味を丁寧に確認していたのが非常に印象的であった。たしかに、言葉の意味を理解し、演奏の道筋が決まるだけで、表現が鮮明になる。声楽家が舞台経験で培っていく言葉への感性とその表現の磨き方を学べることが、小林のレッスンの真骨頂ではないだろうか。
良い音楽を作り上げたいと思うとき、目指すべき方向性は楽器や専門分野にかかわらず普遍的なものだ。GOAの異なる分野の講師によるマンツーマンレッスンは、受講生たちがこれまで蓄積してきたテクニックや知識の視野をさらに広げ、レベルアップしていく場であった。
取材・執筆:山下実紗

公演情報
芸劇オーケストラ・アカデミー・フォー・ウインド(GOA)
第1回 ライジングスターズ・コンサート
2026年1月16日(金)14:00
東京芸術劇場 コンサートホール公演詳細:https://www.geigeki.jp/performance/concert325/
芸劇オーケストラ・アカデミー・フォー・ウインド(GOA)webサイト:https://www.geigeki.jp/special/goa/
