アレクサンダー・リープライヒ、台北へ
その歩みとアジア楽壇との関わりを語る

アレクサンダー・リープライヒ、台北へ

その歩みとアジア楽壇との関わりを語る

text by 平岡拓也
cover photo ©︎Sammy Hart

台北市立交響楽団の首席指揮者に就任

2025年3月上旬、アジアのオーケストラ界に一つの動きがあった。
台湾フィル(國家交響樂團・NSO、2021年から準・メルクルが音楽監督)や長栄交響楽団(ESO、2025年からヤープ・ヴァン・ズヴェーデンがアーティスト・イン・レジデンス)と共に台湾を代表するオーケストラの一つである台北市立交響楽団(TSO)が、2026年からの新首席指揮者を発表したのだ。就任発表記者会見は、台北市内のランドマークの一つ、中正紀念堂の敷地内にある國家兩廳院で行われた。会見には欧州の放送局の取材チームも訪れており、静かな興奮が漂っていた。

台北市立交響楽団(以後台北市響)は2019年から2022年にかけて我が国でもお馴染みのエリアフ・インバルが首席指揮者を務め、コロナ禍で世界中が大編成演目を断念する中で厳格な防疫体制を敷きつつマーラー全曲演奏を達成した。2023年からは桂冠指揮者の任にあるインバルは変わらず壮健だが90歳間近と高齢であり、彼の後任のシェフをオーケストラはこの数年探していたようだ。
そして見つかった彼らの新たなパートナーは、ドイツ人指揮者のアレクサンダー・リープライヒ。すでに台北市響とは17年間にわたり共演を重ねている。ミュンヘン室内管、ポーランド国立放送響、プラハ放送響のシェフを歴任したリープライヒは、現在バレンシア管弦楽団首席指揮者兼芸術監督を務めている。アジアではかつて統営(トンヨン)国際音楽祭の音楽監督も務め、日本のオーケストラへも定期的に客演している彼に、新たなアジアの拠点が加わる。

台北を代表するコンサートホール「國家音楽廰」  撮影:平岡拓也

「2008年の初共演以来、台北市響と多くの素晴らしいコンサートをご一緒した記憶は私の中に深く刻まれています。今日、オーケストラと指揮者の新たな契約は、一度も共演することのない状態で結ばれることもあり、それはなかなか難しいものなのです」記者会見の最初、リープライヒはこう語り始めた。
「そうした意味で、(初共演から)17年間の“カップル生活”を通じて、首席指揮者という形で“結婚”に繋がるというのは普通のことではなく、就任のオファーをいただいた際は正直なところ驚きました」
台北市響とのこれまでの積み重ね、そして今後の展望について彼はこう語る。
「古典から現代まで様々な作品をご一緒してきましたが、特にディーター・アマンのピアノ協奏曲《グラン・トッカータ》、またジョン・アダムズの《シェヘラザード.2》の台湾初演は強く印象に残っています。こうした非常に難しい同時代作品を、台北市響は見事に演奏してくれました。2026年にはチェン・チーガン(陳其鋼)の二重協奏曲の世界初演をリサ・バティアシュヴィリ、ゴーティエ・カピュソンを迎えて行うことになっています」
その他にも、2026年にリープライヒと台北市響は《トリスタンとイゾルデ》を台北表演藝術中心(Taipei Performing Arts Center)で上演する。演出は日本でも上演されたピーター・セラーズ/ビル・ヴィオラによるもの。「心理学的で室内楽的、20世紀音楽への扉を開いた作品」とリープライヒが語る《トリスタン》の上演は、広くアジア中から注目を集めるのではないか。

会見中、アジアの音楽界についても彼は語った。「東京、ソウルと並び、台北はいま、アジアのクラシック音楽における台風の目の一つです。韓国でも私は沢山仕事をしましたし、日本も長い伝統があります――私は今回、名古屋での仕事(愛知室内オーケストラ)を終えて台北へ来ました。台北ではいまマキシム・ヴェンゲーロフがリサイタルをしていますし、つい先日はヨナス・カウフマンも台北市響と共演していたのですよね。彼は、私が声楽を学んでいた時の同級生なんですよ(笑)。そんな台北で、新たな音楽的パートナーを得ることができて幸せです」

古典と現代作品を巧みに組み合わせたプログラミング

記者会見の後、リープライヒへの単独インタビューの時間を持つことができた。まず彼は、人生において大きな影響を受けた3人の音楽家たちについて語ってくれた。
「私が指揮者になろうと決心した大きな要因は、クラウディオ・アバドの存在です。1991年、ベルリン・フィルでカラヤンの後継者に彼が指名された直後のミュンヘンで会ったのが最初で、彼はベルリン・フィルとマーラー《巨人》でツアーをしていました。彼は古典的なレパートリーと新ウィーン楽派や同時代作品を組み合わせるのが好きで、彼が振ると同時代作品が実に自然に響いたものです。また、彼のオーケストラとのコミュニケーションは、楽団と責任を分かち合うというもので、独裁的なやり方ではありませんでした。彼の時代でベルリン・フィルのサウンドは変わっていったと思います。任期の最後の方は色々難しいこともあったようですが――。そして、晩年のルツェルン祝祭管との演奏は更に一段上のものでした」
ニコラウス・アーノンクールはザルツブルクの講習会の講師でした。彼の『音楽は対話である』という本でもまとめられていますが、音楽をどう“語るか”“発音するか”、実際の音楽において和声がどういう役割を担っているかを学びました。そしてミヒャエル・ギーレンもザルツブルクに教えに来ていました。とても気難しくも知性に溢れる人で、トーマス・マンの『ファウスト博士』について一晩中語り合ったのをよく覚えていますよ」

ここで挙がった3人の巨匠の影響とも言えるだろうが、リープライヒのプログラムでは、古典と現代作品の巧みな取り合わせが目立つ。彼はプログラミングにおいて何を目指しているのだろうか。
「こういう作品を取り上げて新たな聴衆を獲得しよう、ということは考えません。いまオーケストラとどんな作品をやりたいか、が一番大切です。例えばバレンシアでは今度武満徹と細川俊夫を取り上げますが、スペインで日本人作曲家はそれほど有名ではないので、ソリストの青木涼子さんを招いて能についてのシンポジウムをして注目を集めるようにしています。現代音楽だからという理由で躊躇することはありません。バレンシアでリゲティのヴァイオリン協奏曲を演奏した時、オーケストラは集客面をひどく恐れていましたが大成功でした。イザベル・ファウストの独奏で、聴衆は総立ちでしたよ」

撮影:平岡拓也

そして、4月の日本フィルで取り上げるプログラムもまた古典と現代の絶妙なミクスチュアだ。どんな狙いがあるのだろうか。
「4月のプログラムでは、アイヴズの《答えのない質問》とR.シュトラウス《ツァラトゥストラはかく語りき》を後半に置きますが、これはアタッカ(間を置かず続けて演奏すること)で演奏します。アイヴズの“質問”に対する答えを、この演奏会では《ツァラトゥストラ》としています。アイヴズで弦楽器は協和音を奏で、一方木管が不協和音でパニックに陥る。アイヴズの“質問”は調性の安定性への問いでもあるわけです。そしてトランペットの音型は《答えのない質問》《ツァラトゥストラ》に共通していますよね。
調性の安定性という観点では、結局このアイヴズ→シュトラウスと歩む“質問”は決定的な“答え”には至らないのです。《ツァラトゥストラ》の〈学問について〉の低弦に始まるフガートは12音列を用いており、シェーンベルクとは違う歩みでシュトラウスが無調へ接近していることは明らかです。楽曲はロ調(木管)とハ調(低弦)という遠隔調が混ざらないまま終わっていき、調性的に解決しません。やはり、《答えのない質問》なのです! 《ツァラトゥストラ》以外にも彼の交響詩は非常に前衛的で、《アルプス交響曲》ではクラスターが登場しますよね。『アレクサンダー、これはスペクトル音楽の始祖だ』とラッヘンマンが私に語ったのを覚えています。
前半に取り上げるのはハイドンの交響曲第79番とボリス・ブラッハーのヴァイオリン協奏曲です。協奏曲は独奏のコリヤ・ブラッハーからの提案で、古典的なハイドンと新古典的なボリス・ブラッハーという組み合わせも良く、実現しました。ボリスの御子息であるコリヤとは初共演となり、楽しみにしています」

時代も様式も異なる、思索的な音楽の旅がサントリーホールに響くことになりそうだ。日本という枠をふたたび離れて、ヨーロッパとアジアのオーケストラの違いについても言及があった。
アジアのオーケストラには強い個性を感じます。今、ヨーロッパ、特にドイツのオーケストラの中にはそれほどヨーロッパ人がいないオーケストラもあります。かなり多人種で構成されていて、高水準ですが昔に比べると個性の差がなくなってきている。
一方で、日本のオーケストラはおそらく95%が日本人で構成されていますよね。バレンシアもそうで、可能な限りスペイン人、できればバレンシア人のメンバーが欲しいと思っています。これは良い悪いの問題ではなく、恐らく母語の違いに起因するのでしょうが。バレンシアの楽団は時折、非常に情熱的になります。あまりに熱っぽすぎるので、私が愛する彼らの“地中海的な熱”を抑えないといけない場面もあるほどです。アジアのオーケストラも同じく、母語や民族性による明確な違いを感じます。また《ツァラトゥストラはかく語りき》を台北市響で去年演奏した時も感じたのですが、アジアのオーケストラは総じて、リハーサルから本番までの成長度合いがめざましい。ヨーロッパのオーケストラでは同じ過程でそれほど差を感じないこともあります」

©︎Bartek Barczyk

あらためて、リープライヒは台北市響とどのような共同作業をしていこうと思っているのだろうか。
「音楽家として良い仕事をしていれば、結果は自ずと顕れるもの、とまず申し上げておきます。古典から現代まで幅広く選曲しますが、とりわけ台北市響があまり取り上げてこなかったフランスやポーランド、チェコのレパートリーは私の得意とするところですので、積極的に取り上げたいと思っています。ツェムリンスキーやコルンゴルト、パヴェル・ハースなどを優れたソリストと共に紹介したいですね。また、日本でも定着した音楽祭『ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)』のようなイヴェントが開催できないかと思っています。台北市響は台北市のオーケストラですから、市内の各所で違った様式のアンサンブルが体験できるような催しがしたい。何かしらの共通するテーマを設けてね。これから市内の色々な建物を巡って、文化局とも交渉していきます」

台湾での新たな音楽的パートナーとの展望、得意とするリヒャルト・シュトラウスや近現代音楽について、また日本フィルとのプログラムについて語るマエストロ・リープライヒの双眸はまるで少年のようにいきいきと輝いていた。豪華なソリスト陣も次々登場する台北市響の来シーズンを楽しみにしつつ(台湾は近い!)、まずは4月の日本フィルのプログラムで彼の音楽性に触れてみるのはいかがだろうか。

公演情報

日本フィルハーモニー交響楽団
第769回東京定期演奏会

2025年4月11日(金)19:00
2025年4月12日(土)14:00
サントリーホール

アレクサンダー・リープライヒ指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
コリヤ・ブラッハー(ヴァイオリン)

ハイドン:交響曲第79番 ヘ長調
ボリス・ブラッハー:ヴァイオリン協奏曲
アイヴズ:答えのない質問 S.50
R.シュトラウス:交響詩《ツァラトゥストラはかく語りき》TrV176,Op.30

公演詳細:https://japanphil.or.jp/concert/20250411

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