<Review>
映画『オールド・オーク』
世界の大きなうねりを、小さな町の日常へ
丹念に、ときに容赦なく描き込んでいく
text by 原典子
「宮原地区にモスクができるんですって」
「イスラム教の礼拝って音がすごいんでしょ?」
「治安も悪くなるし、近所の人たちはたまったもんじゃないわね」
「ところで、宮原ってどこ?」
とある午後、藤沢のカフェで耳にしたマダムたちの会話。ひとしきり怖い、怖いと言い合ったあと、話題は株が10年で倍に上がった話、遺産相続の話へと移っていった。
神奈川県藤沢市では昨年から、イスラム教住民によるモスク建設計画をめぐり、反対派と擁護派の対立が深刻化している。今年4月には外国人排斥を訴える埼玉の市議会議員が「モスク建設反対デモ」に駆けつけヘイトスピーチを扇動。それに抗議して「反ヘイト・反レイシズム」を訴える人々との激しい衝突が駅前で起きたばかりだ。
ケン・ローチ監督の新作にして最終作『オールド・オーク』を観ていちばんに思い浮かんだのは、そんな地元藤沢の光景だった。
映画の舞台は、『わたしは、ダニエル・ブレイク』『家族を想うとき』と同じイギリス北東部。かつては炭鉱で栄えた町が今は見る影もなく、昔からの住民は移民への不満を募らせている。町で唯一のパブ「オールド・オーク」の常連たちも、シリア難民の悪口で連日盛り上がっているが、店主のTJ・バランタインがシリアから逃れてきた女性ヤラと出会ったことで、物語が動きはじめる。

町の人々は、所謂「レイシスト」ではない。少なくとも、自分たち自身ではそう思っている。ただ移民の無作法に対して怒っているだけの善良な市民だと。パブでの会話にも、「議員やメディアを集めて難民受け入れ反対の集会を開こう」とひとりが提案すると、「そんなことをしたら全国からレイシストがやってきて、町が乗っ取られてしまう」ともうひとりが言うシーンがある。
これが、「今」のリアルだろう。イギリスでも日本でも、同じことが起きている。89歳の巨匠は世界の大きなうねりを、小さな町の労働者階級の日常へと丹念に、容赦なく描き込んでいく。
ヤラはTJに「一緒に食べること」で町の人々が言葉を超えてひとつになれると提案。TJは何十年も閉め切っていた店の奥にある部屋を開放し、皆で協力してメンテナンスをし、誰でも無料で食事ができる子ども食堂をオープンする。そこに人々が集まり、支援の輪が広がり、あたたかな心の交流が生まれる――。こう書いてしまうと王道の感動ストーリーのようだが、ケン・ローチの映画には一切の「わざとらしさ」がない。それゆえに直球で、力強い。

ケン・ローチは今作においても、登場人物に近い生活を送る人々の中から俳優を起用している。TJ役のデイヴ・ターナーは労働組合役員として働いていた時期に監督と知り合い、ヤラ役のエブラ・マリはイスラエル占領下のシリア出身。ローラ役のクレア・ロッジャーソンは慈善団体の事務局員だそうだが、自分もギリギリの生活をしながら難民受け入れのボランティアをしている女性の心情がありありと伝わってきた。監督は彼らにあえて台本を渡さず、その場で起きた出来事へのリアクションを、ありのまま撮ることも多いという。
そうしたリアリティの積み重ねがあるからだろう。余裕のない生活のなかで移民へのヘイトで憂さ晴らしをする人々の姿や、忘れかけていた炭鉱夫としての誇りと連帯を取り戻していく人々の様子が、観る者ひとりひとりに「自分のこと」として力強く迫ってくる。ケン・ローチ監督から混迷する世界へ向けたラスト・メッセージを、ぜひとも多くの人に受け取ってもらいたいと切に願う。

最後に、もうひとつだけ藤沢の話をさせてほしい。私が子どもだった1980年代、藤沢にベトナムからのたくさんの移民が入ってきた。なかにはボートピープルもいたという。カトリック藤沢教会のミサは、ある日突然ベトナムの人々で溢れかえり、日曜学校で教会に通っていた私は混乱した。当然、大人たちのなかにも眉をひそめる人がいた。けれどあれから40年たった今、藤沢教会ではベトナム語のミサが開かれ、ミサ後の中庭ではベトナム春巻きが販売されている。教会の皆にとってすっかりおなじみになった春巻きを食べるたび、私は当時のことを思い出す。
公開情報
『オールド・オーク』
2026年4月24日(金)より
ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿武蔵野館、他全国ロードショー監督:ケン・ローチ
脚本:ポール・ラヴァティ
出演:デイヴ・ターナー、エブラ・マリ、クレア・ロッジャーソン2023/イギリス、フランス、ベルギー/英語・アラビア語/113分/カラー
原題:The Old Oak 配給:ファインフィルムズ 映倫:G
文部科学省特別選定(高等学校生徒、青年、成人向き) 文部科学省選定(中学校生徒、家庭向き)東京都推奨映画
後援:ブリティッシュ・カウンシル
© Sixteen Oak Limited, Why Not Productions, Goodfellas, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinéma and The British Film Institute 2023オフィシャルサイト https://oldoak-movie.com/
