エリアフ・インバル×台北市立交響楽団
怒涛のマーラーで九州・山口を席巻

<Review>
エリアフ・インバル×台北市立交響楽団

怒涛のマーラーで九州・山口を席巻

text by 平岡拓也
写真提供:台北市立交響楽団

エリアフ・インバル&台北市立交響楽団
日本ツアー 2025

エリアフ・インバル(指揮)
台北市立交響楽団

マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調

2025年10月10日(金)福岡市民ホール 大ホール
2025年10月11日(土)熊本県立劇場 コンサートホール
2025年10月12日(日)三友サルビアホール(防府市公会堂)

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11年ぶりの来日を果たした台北市響

第2楽章で予告されたコラールが輝かしく現れ、それに浸る間もなく、人を食ったような終結へなだれ込む。マーラー中期の傑作「交響曲第5番」の熱演に、3会場は沸きに沸いた。

2025年10月、台北市立交響楽団(以後台北市響)は11年ぶりに日本を訪れた。昨年には創立55周年を寿いだこのオーケストラ。今回のツアーは福岡、熊本、防府を3日間で巡る日程で、各都市からの招待公演であった。現在建設計画が進行中で台北市響の新本拠地となる予定の「台北コンサートホール」とほぼ同規模の会場がツアーで選ばれたことも付記しておきたい。

台北市響は台北市の管轄にあり、地域に根差した活動も多彩だ。近年は若く優秀な団員も加わり、インバルとの共同作業を経てアンサンブルに磨きをかけている。まだ粗削りな瞬間もあるが、指揮者の個性が音に如実に反映される柔軟さを備えるのが強みだ。

台北で行われたアジアツアー記者会見の模様

ツアーの指揮台には、東京都交響楽団(1965年創立、台北市響の4つ歳上にあたる)と紡いだ蜜月をはじめ、半世紀の長きにわたり日本の聴衆に親しまれる名匠エリアフ・インバルが上がった。インバルは2019年から22年に台北市響の首席指揮者を務め、現在は桂冠指揮者の任にある。1936年生まれ、来年で齢90を迎えるが、軽い足どりに鋭い指揮、ハリのある声。まさに壮健そのものだ。日本に続く韓国での2公演を含めた全5公演のアジアツアーを無事完走した。インバルと台北市響がコロナ禍の中(おそらく当時、世界で唯一といってよい)全曲演奏を達成したマーラーの交響曲から、「第5番」の一本勝負がツアー曲目に選ばれた。

直前まで続くリハーサル、本番での解放

ツアー初日。10月3日に現地の「壮行公演」で同曲を演奏し、前日もリハーサルを行っているインバルと台北市響だが、今年オープンしたばかりの福岡市民ホールでのゲネプロ(本番前の最終仕上げ)は「さらっと流す」ものとは程遠い、濃密なものだった。

特に執拗に掘り下げていたのは第3楽章のスケルツォで、たっぷりとした残響を持つホールに合わせて、200小節から始まる弦楽器の掛け合いは弓を使いすぎず、音を短く切って弾くように指示。またfffからわずか1小節で一気にmfまで落とす音量変化を強調するため、「mfでなくmpまで音量を落として」とインバルは伝えた。結果、本番ではこの箇所は一音ずつ明晰に聴き取れ、音量のコントラストが際立ち、かつmpの音量でも十分に客席に届く仕上がりになっていた。端折りながらも全曲を丁寧に確認したゲネプロは90分近くに及び、大声で指示を飛ばし続けたインバルは、一度たりとも椅子に腰掛けることはなかった。

妥協のないリハーサルが続いた

熱狂的な客席に迎えられた福岡での初日公演を終え、一行は翌日熊本へ。近年半導体企業TSMCが熊本に進出したこともあり、熊本と台湾の交流はかつてなく盛んになっている。クラシック音楽界だけを見ても、台湾フィルハーモニック(NSO、国家交響楽団)が今年5月に熊本公演を行っていた。台北市響は、今年熊本を訪れた二つ目の台湾のオーケストラということになる。

2025年10月11日 熊本公演より

熊本の会場は、東京文化会館を設計した前川國男の晩年の作である熊本県立劇場。厚化粧でなく自然な響きで、細部を明晰に聴き取れる優れたホールだ。この日は冒頭トランペット・ソロにわずかに疵があったが、全体としては福岡よりさらに細部の抉りが効いた凄演となり、緻密な設計は有しつつ「今まさに音楽がその場で生まれている」ように生々しい第4楽章のアダージェットや、各声部がこれでもかとせめぎ合う第5楽章の強烈な響きは耳にこびりついている。一瞬入り遅れたセクションにはインバルが即座に「見て!」と自らの目を指差して合図を送ったり、振りながら「espressivo!」と呟く瞬間があるなど、舞台のライヴ感も満載だった。

ツアーで醸成された一体感を糧に、さらなる発展へ

最終公演は九州を離れ、山口県防府市で行われた。防府駅を出てすぐの「アスピラート」(防府市地域交流センター)と今回の会場である三友サルビアホール(防府市公会堂)を拠点とした防府音楽祭も音楽監督の田中雅弘氏(防府市出身・元都響首席チェロ)を中心に地元に定着しており、来年で25回目の節目を迎える。

2025年10月12日 防府公演より
防府公演の会場は3日間のホールの中で最もデッド(=残響が少ない)で、ただでさえソリッドな構築を行うインバルの音楽がさらに容赦なく、すべてが白日の下に晒されることになった。前半を設けずマーラー1本で臨むとはいえ、大曲を3日連続で異なるホールで演奏する日程は、演奏者への負担も大きかったに違いない。わずかに感じられた疲れは、楽曲前半の運びの重さとして表れた。指揮の冴えも前日に軍配が上がる。だがそんな中でもフィナーレに向けて全員が推進力を取り戻していき、豪快にツアーを締めくくった。

「インバルの要求は厳しいけれど、それは理にかなっているし、どうしてほしいか明解に棒で示してくれる。だからついていけるのよ」
―ある団員が公演終了後、筆者にこう話してくれた。自他共に認める「決してイージーではない」指揮者であるインバルが、なぜ台北市響と良好な関係を築けたのか。それを端的に示す言葉である。決してルーティンにはならない、幸せな関係性ではないか。

短期間で複数のコンサートホールを巡り、異なる音響条件で最善のパフォーマンスを目指したという経験は、間違いなく台北市響をより上のレヴェルに引き上げることだろう。来年からシェフとして迎えるアレクサンダー・リープライヒ(本誌でも記者会見を取材した)との新時代、新ホール落成への期待も大きい。ツアーの成功を祝うとともに、さらなる発展を楽しみにしたい。
3会場すべてでインバルへのソロ・カーテンコールが起こった
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