布施砂丘彦×八木宏之対談
音楽における「美」とは、誰のものなのか?
──「聴く」という行為から考える、音楽芸術と批評の在り方
text by 小山桃香
演奏家、批評家、演出家として、複数の立場を行き来しながら活動してきた布施砂丘彦はいま、音楽を「聴く」という行為そのものに目を向けている。
舞台作品制作団体「こひざらめ」を設立し、2026年10月16・17日の旗揚げ公演『とどまらざるを花と知り』では、J.S.バッハ《ゴルトベルク変奏曲》を題材に、音楽、身体、空間が交錯する舞台を作り上げる。
劇場で生まれる「美」とは誰のものなのか。布施砂丘彦がいま何を考え、何を作ろうとしているのか。音楽評論家、八木宏之との対話から、その創作の根にある思想を紐解く。
舞台作品制作団体「こひざらめ」設立
八木宏之 布施さんはこれまでにもさまざまなプロジェクトを立ち上げてきましたが、今回新しく「こひざらめ」という団体を立ち上げた背景には、どんな想いがあったのでしょうか? 布施さんにとって企画や団体というのは自分の子どものような存在なのか、それとも自分のアイデアを具現化するツールや箱と捉えているのか、その温度感に興味があります。
布施砂丘彦 私はコロナ禍にいくつか企画を立ち上げました。たとえば「ミヒャエル・ハイドン・プロジェクト」は彼の作品を広めるための団体で、基本的に自分の外側に目的がありました。
今回立ち上げた「こひざらめ」という団体は、劇団的要素もありつつ、布施砂丘彦の作る作品主体に名前を与えたという形が近いかもしれません。たしかに団体を作ることの重さは、子どもを産むことに近いとも言えるでしょう。私はこの10月に30歳になるので、多岐に渡ってきた自身の活動に対してのひとつの区切りとしても考えています。現在は東京芸術劇場のアート・クリエイターとしても作品作りをしているのですが、そちらは最終的に海外に持っていくことを目的としているので、海外への展開も見据えています。
「こひざらめ」という名前は、『古今和歌集』の「仮名序」(著 : 紀貫之)の結び「古を仰ぎて、今を恋ひざらめかも」からとっています。これはいわゆる温故知新的な意味ですね。私はこの「仮名序」が大好きで、日本で初めての芸術論だと思っているんです。書き出しには「生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける」という言葉があります。これは「蛙や鶯の声を聞いたら彼らも歌を詠んでいるよ」という内容ですが、もちろん蛙や鶯が本当に歌を詠んでいるわけではありません。それを聴いた人間が、そこに歌を見出すということです。私はこれこそが日本的な美の価値観だと思っています。そこにある何かから美を見つけ、そこから花を見出すという感覚はとても美しい行為です。だから今回、自分はこういう思想でやっていくんだという宣言として作ったのも大きいです。

八木 作り手としていろいろな節目を迎えた布施さんの、ある種の宣言としての「こひざらめ」なんですね。僕が布施さんを作品の作り手として意識し始めたのは、3回目の自主公演『いつ明けるともしれない夜また夜を』(2022年5月)からでした。社会とクロスしたメッセージ性が人々に強い印象を残し、大阪での再演が決まったり、この公演をきっかけに朝日新聞で批評を書くようになったり、布施さんのなかでもひとつターニングポイントになった作品なのではないかと思います。

布施 そうですね。その後の『文体練習』(2022年11月)という作品では初めて演出家としての仕事を外からいただくことになるなど、さまざまな面で大きなきっかけとなった公演です。でも一番印象的だったのは、SNSでの反応がすごく多岐にわたっていて、面白かったことでした。
『いつ明けるともしれない夜また夜を』では、弦楽オーケストラがバッハの《マタイ受難曲》のコラール「わたしです、わたしこそ償うべき者です」を演奏するなか、俳優が歌詞を繰り返しながらステージ上に置かれたメトロノームのスイッチを入れていきます。演奏はやがてメトロノームの音によってかき消され、カチカチ音だけが残り、リゲティの《100台のメトロノームのためのポエム・サンフォニック》になるという演出でした。
自分のなかでは、それぞれのメトロノームが人の命の象徴で、それらが尽きていくようなイメージを描いていたのですが、SNS上では「雨の音に聞こえた」など、 自分が考えていなかったような解釈が書かれていたり、また、お客さん同士で感想のやり取りをしたりしているのを見て、とてもいいなと思ったのです。
批評をしたくなる公演を作りたい
布施 私が公演を作る理由のひとつとして、批評が育ったらいいなという想いもあります。世の中に素晴らしい公演はたくさんありますが、たとえばオーケストラの演奏会で交響曲をやるときに、基本的に社会性や政治性ってあまり感じないですよね。そこに日本の批評論があまり育たない、あるいは育つきっかけがない理由があるように思うんです。
他者との受け取り方の違いも豊かさであって、それこそが芸術鑑賞の面白さだと私は言いたいし、私の作品に対して「こんなのはダメだ」みたいなことを言う人が現れるのも含めて、批評をしたくなる、 批評ができる公演を作りたいと思っています。物語や演奏、そして現実社会の出来事とを結びつけて音楽について語るという機会がもっと増えてほしい。音楽評論家である八木さんはこのような話をどう思いますか?
八木 布施さんには演奏家をはじめいろいろな立場があって、批評することもあれば、公演を作り、批評される側になることもある。そうした行き来に布施さんは混乱したりしないのかなと思ったこともあるのですが、あくまでアウトプットの形が違うだけで、それらは布施さんにとって全て同じ「批評」であるという考えに触れて、私はとても感心しました。
小林秀雄や吉田秀和のようなハイレベルな評論家であり続けた人は、ルーティンではない、クリエイティブな行為として評論と向き合っていたことを、今の布施さんの話を聞いて思い起こしました。そして自分が観たい、聴きたいものを作るというのも、とても筋が通っていますよね。クラシック音楽を仕事にすると、音楽の自由な聴き手であり続けることは簡単ではありません。しかし、布施さんは音楽に向き合うみずからのスタイルを、30歳を前にして確立している。 プロの評論家でありながら、どこか職業的ではない。自分の聴きたいものをみずから作りながら、書き手としても自立している。これはすごく健全で合理的なエコシステムだと思います。

布施 いろいろと考えさせられることが多くて、興味深い話です。昔好きだったものが、仕事になることによって全然違うように見えてくることって、どんなジャンルにおいても、プロになっていく過程で抱えていくものだと思うんですよ。私はたぶん、アイデンティティとしては評論家だけではないというのがひとつあるのだと思います。だからこそ何かにはまったりはしなくて済むことが多いのでしょう。
業界のなかにどっぷりはまってしまっている状態って、すごく膠着していると思うのですが、私って常に何にも属してない人間なんですよね。評論の仕事をすれば「演奏家の布施さんだ」って言われるし、演奏の仕事に行けば「評論家だろ、お前は」って思われたりもする。演出したら「演奏の人だ」と言われるし、現代音楽やモダン楽器の演奏現場に行けば「古楽の人だ」と言われるなど、どこでも同様のことが起こっている。私は何処に行ってもその島の人間ではなく、帰る家がないといえばないんですけれども、一方で、どこに行っても自在な立場ではある。もちろん精神的にそれがちょっとしんどくなるときもありますが、それがいま自分が得ていることのひとつだなあと思っています。
芸術が生まれるのは、いつも聴衆の内側
布施 私はもともとはただ聴くのが好きな人間、いわゆるクラオタで、いつも音楽を聴取することに能動性や豊かさを感じています。それらを中心にして、劇場で起こる出来事を捉えたい。聴くという行為はとても創造的なことで、作品を作っているのは作曲家や演奏家(だけ)ではなく、常に聴衆だと思っています。
誰もがクリエイターになれる時代ですが、創作をする喜びは手を動かすことだけではなくて、自分のなかで何かに「美」を見出す瞬間にもあります。何かを花だと思った瞬間に、聴衆の頭のなかで芸術が立ち上るのではないでしょうか。評論の仕事をしていて、演奏を言語化することの難しさに悩んだからこそ、こういった考えに至りました。
八木 あらゆる立場から音楽を捉え、考え、実践する布施さんの作る作品は、コンセプトが斬新で、舞台作品としての高い強度があります。10月の新作公演『とどまらざるを花と知り』についても、そこに込める想いを聞かせてください。
布施 ありがとうございます。こひざらめの旗揚げ公演として、北千住 BUoYにて『とどまらざるを花と知りーJ.S.バッハ《ゴルトベルク変奏曲》全曲上演』をお披露目いたします。今回のテーマは「変化」です。
美術館での彫刻作品の展示のように、空間にバラバラに配置された7人の演奏者とダンサーの間に聴衆がいて、それぞれの音楽の移ろいを体験していただきます。
公演名は、世阿弥が書いた『風姿花伝』(日本最古の能の理論書)からとっています。文書内の「住する所なきを、まづ花と知るべし」という言葉が示す、変容し続けることこそが美しく花であるという思想は、今回の企画や団体名にも通ずる美的感覚ですね。
演目の《ゴルトベルク変奏曲》も、この「変容」をテーマとして選びました。この曲はベースラインが鍵となっています。上澄みのメロディがどんなに変わっていっても、常にそこにあり続けるベースの音型、それが川みたいだと感じていて、コントラバス弾きとしても興味深い。世間は変化し続けるけれども、そこには常に流れ続けているものがある。音楽を通して今の日本や東京の街、もっと外のものを考え、人々と向き合うことができるんじゃないかと思っています。

八木 前作『美しき新宿花園の娘』(2025年)のシューベルトに続いての今作ですが、布施さんにとってバッハを選ぶ難しさは感じませんでしたか? 特に古楽の世界では、バッハは神格化されているように思いますが。
布施 そうですね、自分にとってもバッハは特別な作曲家であるのは事実です。私は《ゴルトベルク変奏曲》が大好きなんですが、今回の編曲ではノイズだらけにしてしまう箇所もあります。神格化してるからこそ、バッハって仏さんみたいな存在だから、そういったことをしたとしても、心が広いので怒らないだろうという感情も少しあります(笑)。

劇場に「新宿」を作りたい
布施 私は「新宿」という街がとても好きで、前作に続き今回の公演に関しても、劇場に「新宿」状態みたいなものを作ろうとしています。今回の会場のBUoYは足立区ですけどね。私は、なんか「新宿」っていうのを、もはや概念として捉えているんです。
「新宿歌舞伎町とは壁のない劇場である」という文章を書いたこともありますが、本来隣り合わないものが隣り合っていて、特に手を携えるわけではないのに共に存在し続けることができている状態、そこが一番の魅力だと思っています。
来年2月に東京芸術劇場でお披露目する「TMTギア」というプロジェクトの公演でも、異なることを隣で同時にやり続けるというものを考えています。去年の夏に作った、講談師が語っている隣で演奏家が演奏するという動画作品をもとに、まったく異なる行いをするという内容です。新宿や闇市の歴史などからも着想を得ていて、世の中の街って本来そういうものだよね、みたいなことを考えています。
自分が劇場のなかに混沌とした何かを作って、そのなかから聴衆がそれぞれの花や美を見出してくれる時間を作りたい。それが自分にとっての作品なんですよね。
八木 とても本質的な話をありがとうございました。まずは『とどまらざるを花と知り』、そして今後の布施さんの活動を楽しみにしています。

公演情報
とどまらざるを花と知り
J.S.バッハ《ゴルトベルク変奏曲》全曲上演2026年10月16日(金)15:00/19:30
2026年10月17日(土)14:00/17:30
会場:北千住 BUoY演出・編曲:布施砂丘彦
美術・照明:小駒豪
ダンス:黒瀧保士
ピアノ類:横山希
フルート類:菊地奏絵
オーボエ類:酒井弦太郎
サクソフォン:立畠花音
ヴィオラ:眞岩紘子
コントラバス:布施砂丘彦宣伝美術:大里淳
舞台監督:萩庭光
演出部・制作部:小山桃香、ruki kojima主催:こひざらめ(代表:布施砂丘彦)
共催:一般社団法人 BUoY公演詳細 https://sakuhiko.com/works/todomarazaru
布施砂丘彦 Sakuhiko Fuse
東京芸術大学卒業。演奏、批評、公演の企画・制作や舞台作品の演出などを行う。演奏家としてはコントラバスでのプロ・オーケストラへの首席客演、実験音楽の演奏、即興パフォーマンスなどを行うほか、古楽器(ピリオド楽器)の演奏もしており、2021年からアントネッロおよびバッハ・コレギウム・ジャパンに参加。多様なサイズ、調弦のヴィオローネを演奏する。批評家としては時評「音楽の態度」で第7回柴田南雄音楽評論賞奨励賞を受賞してデビュー。朝日新聞をはじめとして多くのメディアに寄稿している。「箕面おんがく批評塾」(箕面市メイプル文化財団主催)塾長。東京芸術劇場クリエイター支援プロジェクト「TMTギア」アート・クリエイター。近年は異なるジャンルの音楽家、伝統芸能の担い手、俳優、ダンサー、現代美術の作家などとも協働している。「こひざらめ」主宰。八木宏之 Hiroyuki Yagi
1990年東京生まれ。青山学院大学文学部史学科芸術史コース卒業。愛知県立芸術大学大学院音楽研究科博士前期課程(修士:音楽学)およびソルボンヌ大学音楽専門職修士課程(Master 2 Professionnel Médiation de la Musique)修了。ソルボンヌ大学在学中、J-Wave『MUSIC HUB』のクラシック音楽特集を4回にわたり監修し、ゲスト出演。フランスから帰国後、株式会社AMATIに勤務しアーティスト・マネジメントにも携わる。2021年春にWebメディア『FREUDE』を立ち上げ、その運営を行う株式会社メディアシオンを設立。クラシック音楽を中心にプログラムノートやライナーノーツを多数執筆するほか、コンサートのプレトークや講演なども積極的に行っている。
